現役アナウンサーが警告。重ねすぎるとかえって「無礼」になる敬語

 

いっぽう、現代の日本語に目を転じますと、私たちの生活は、身分の差もなくなり、平等であることが尊重されていますから、殿様に対して使うような絶対的な敬語は、時代劇の中だけの存在になってしまいました。しかし、年長者や、勤め先の役職、習い事、学校などの先生、初対面の人、商売相手など、微妙な人間関係に合わせて言葉を変化させ、敬意を込めています。もしかしたら、身分の差が小さいぶんだけ、時代劇の言葉よりも、使い方は難しくなっているのかもしれませんね。そんななかで、いかにスマートに洗練された敬語表現ができるか考えてみましょう。

尊敬語、謙譲語、丁寧語などは現代国語の世界ではかなり流動的な分野のように思われます。いまどきの若い人は、「です」「ます」など普通の丁寧語についても尊敬語と理解している人が多いようですね。ここでは、

相手を持ち上げるのを尊敬語
自分が謙る(へりくだる)のを謙譲語

と簡単に理解しておきましょう。

言葉は時代によって変化するのが当たり前。特に、尊敬語、謙譲語などは、人間関係の在り方に伴って変わりやすいものですから、流動的になるのは当然だと思います。しかも言葉はより合理的、法則的な方向に収斂(しゅうれん)していきます。つまり、複雑で例外的な約束事などはなくなり、シンプル化する傾向にあるのです。例えば、単語によって違うアクセントなども言い慣れると平板化するのはそういうことでしょうし、「食べられる」が「食べれる」に変わりつつあるなどいわゆる「ら」抜き言葉が広まってしまったのは、「られる」と言う時のほうが、どちらかというと例外的で、「れる」一本に集約される過程ではないかと、考えられます。

では、具体的に考えてみましょう。「誰々が、○○する。」という簡単な構文において、○○する、という動詞の部分に尊敬の意を込めたい場合、大きく分けて、パターンが4つも存在し、しかも、それらを同時に併用することができてしまいます。

その4パターンとは

・お○○になる
・○○いらっしゃる
・れる、られる
・上述の「居る→おいでになる」のように、違う言葉がある場合

です。

○○=食べる、とすると、上記の4パターンは、

・お食べになる、
・食べていらっしゃる、
・食べられる、
・召し上がる、

であり、これらを可能な限り併用してみると、「お召し上がりになられていらっしゃる」となります。日本語としてなんとか成立はしていますが、これはちょっとやり過ぎですね。

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