ボンクラ、病弱、優柔不断な松下幸之助が「大成功」を収めた理由

 

創業のいきさつは、大阪電灯に務めていた時に工夫して改良ソケットの試作品をつくったのですが上司に酷評され悔しい思いをしていました。そんな折に肺尖カタルがこうじてきて将来に不安を感じ「実業で身を立てよ」という父の言葉を思い出したこともあり、独立を決意することになりました。創業資金は95円余りで、機械1台買うこともできない金額だったそうです。

いざ始めたのですが、ソケットの材料である練り物の製法すら分からず誰も教えてなどくれないなかで、煉物工場周辺から原料のかけらを拾ってきて研究しやっと待望のソケットができたのは、なんと4か月後のことでした。しかし、ここからが販売の苦労に入り、どこの店に行っても売れる見込みがないと言われて10日間駆けずり回ってやっと100個ほど売れただけでした。

おもしろいのは販売のために問屋通いするなかで「これ売れますかこれなんぼにしたら売れますかと教えてもらっていることです。「経営の神様」も最初はこのような調子であったようです。困窮ここに極まったという時に、川北電気というところから思わぬ扇風機の碍盤(がいばん)1,000枚の注文を受けてさらに2,000枚の追加注文を受けました。

その後も、扇風機の碍盤の注文があったことと研究を続けてきた電気器具の「アタッチメントプラグ」が、古電球の口金を利用したこともあり斬新で市価よりも3割ほど安かったからよく売れました。続いて作った「2灯用差込みプラグ」も好評で「新しい物を安くつくると評判になって事業が軌道に乗って行くことになりました。

簡略に「松下幸之助の生涯」から主な経緯を抜き書き整理させてもらったのですが、困窮時にも「そんな状況にもかかわらず、彼はそれほど深刻にも思わず、またほかの仕事をやることなど夢にも考えず、ソケットの改良に熱中していた」と書かれています。松下さんと言えども、夢だけを頼りにしたハチャメチャな創業だったようです。

print
いま読まれてます

  • この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け