元スナック店主が42歳から大逆転。回転寿司「根室花まる」ヒットの秘密

 

復活する回転レーン~客が寿司を取りたくなる秘密

「花まる」の本拠地は札幌にある。全国に14店舗をかまえ、年商35億円。どの店も驚くほどの行列を作っている。

はなまる社長の清水鉄志によれば、「根室花まる」のネタは、清水にとっては珍しいものではないという。「ふんどし」は、「根室では昔、カニの腹肉をむしゃむしゃ食べていたんです」。タラの頭で出汁をとった「三平汁」も「子どものころしょっちゅう食べていた」。

清水は根室の漁師の家に育った自分が子どもの頃から食べ慣れてきた魚を客に味わってもらうのが清水のこだわりなのだ。

もうひとつ、清水がこだわってきたのが回転するレーンだ。実は最近、大手の回転寿司は新業態を続々と開発。注文したものだけを届ける、レーンが回転しない店が増え始めている。注文の全てがタッチパネルで行われ、店員の姿もほとんどない、まるで無人のような店も。回転寿司は、廃棄ロスを生まないようにレーンに回す皿の数をコントロールするのが難しく、敬遠されているのだ。

そんな流れに真っ向から反発、「花まる」は“回転”にこだわっている。

「タッチパネルで楽しいわけがないじゃないですか。回転することによって目移りするのが楽しい。どれにしよう、どれにしようと。ショッピングってそういうもの。みんなが諦めたからやる価値はあると思います」(清水)

確かに「花まる」のレーンの皿には面白いように客の手が伸びていく。そこには客が取りたくなる秘密があった。

客に「取りたい」と思わせる上で最も重要なのが、鮮度よくおいしそうに見えること。そのため「花まる」では、客に見えるところで魚をさばくことにこだわっている。目の前でおいしそうな寿司が次々とできていく様子を見ていると、ついつい手が伸びてしまう。「出汁巻玉子」(270円)も目の前で作り熱々のままレーンにのせていく

もうひとつの寿司をなぜかとりたくなる理由が大勢の寿司職人たち。社員として育て上げられた彼らは、回転寿司専門の寿司職人だ。手慣れた手つきで寿司を握ると、レーンに置く前に握りたてが完成したことをアピール。これで客の手が伸びる確率が格段に上がるのだという。

レーンに皿を置く位置にもノウハウが。興味を持った客の40センチ川上へ置くのがいいそうだ。思わず食べたくなる新鮮な寿司を、客の気持ちに寄り添って流していく。これがはなまる流の回転寿司だ。

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スナック店主からの大転換~根室に感動回転寿司が誕生するまで

札幌市のはなまる本部。清水の元に一匹の魚が届いた。まだ産卵前の脂が凝縮されている鮭、トキシラズ。旬の魚として扱いが始まったこの時期、「花まる」ではいつ提供を始めるのか。送られてきた魚を試食し、清水が最終判断を下す。この日は「まだ脂が少ない」と、先送り。わずかな味の違いでも、清水は妥協しない。

清水は、店を良くするためならどんな小さな改善も惜しまず、努力してきた。日々欠かさない店舗回りでは、その店の問題点を次々にメモしていく。「もっとレーン上の皿の適正な数を考えろ」というメモを、なんと皿に乗せて流す清水。専用レーンで、営業中でもほんの些細な改善点を次々に現場へ伝えていく

「細部の1個はそんなに意味がないかもしれません。でも、細部と細部と細部になると、雰囲気も変わってきたり、トータルでお客様はなんとなく感じる。そういう細部の改善の積み重ねが重要だと思っています」(清水)

1952年、根室に生まれた清水は、子どもの頃から赤面恐怖症だったという。ところが、そんな清水が憧れたのは大好きだった落語家とにかく人々を喜ばせたかった

19歳の時、東京へ。しかし、ある落語家を訪ねるも、弟子入りを断られて劇団員になるなど、その日暮らしの生活だった。

結局、何もモノにならず、1977年、再び故郷へ。働き口のあてもない清水は、借金をしてスナックを始める。相変わらず人と喋るのは苦手だったが、東京のスナックでアルバイトをした経験もあり、見よう見まねで頑張った。くる日もくる日も食べていくために働き、いつしか40歳となっていた。バブル経済がはじけ、寂しさを増す根室の町。清水の中に、なにか説明のできない漠然としたわだかまりが、芽生えていた。

「自分の人生はこれでいいのかなという思いがふつふつと湧いてきて、何のために自分は活きているんだという根源的なことを悩んでいたような気がします」(清水)

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