元スナック店主が42歳から大逆転。回転寿司「根室花まる」ヒットの秘密

 

「寿司が崩れる回転寿司店を繁盛店に変えた魔法の言葉

そんな清水の人生を変えたのが、出張先の街で出会った初めて見る店、回転寿司だった。興味本位で入ってみると、にぎわう店内では色とりどりの寿司が回っていた。何よりも清水の目を釘付けにしたのが、幸せそうに食事をする家族連れの姿だった。

「本当にお客さんが楽しそうでした。これは根室の人々が待っている。本当に『待っている』と思ったぐらいです」(清水)

そして1994年、清水はスナックをたたみ、根室に回転寿司花まるをオープンさせる。しかし店には、回転寿司の経験がある従業員はいなかった。開店後しばらくは、まともな寿司を出すことさえできなかった。あっという間に苦境に。崩れた寿司が、回り続けていた。

苦境の清水を励まし続けたものがある。それが今も心に留め続けているという京セラ創業者・稲盛和夫の誰にも負けない努力をする」という言葉だった。

清水は、他の町の回転寿司に教えを請い、自ら修業を開始。少しずつ店を良くするための努力を重ねた。根室界隈の魚市場を回り、他にない、少しでもいい魚を仕入れられないかと模索した。もっと新鮮な寿司を提供できる方法はないか。回転寿司の良さを楽しんでもらうには何を改善すればいいのか。

「お客さんがどういうものを望んでいるかを一生懸命考えながら、少しずつシャリ、ネタから創意工夫、改良改善を重ねていきました」(清水)

次第に客が増え、ようやく札幌への出店を果たした時に気づいたのが、地元ではあたりまえだった根室の魚を、客が思いのほか喜ぶ光景だった。こうして清水は、誰にも負けない努力を積み重ね、「根室の文字を掲げた今までにない回転寿司を作り上げたのだ。

全国に繁盛店が続々~逆境から成功を生む“教え”とは?

はなまる本部の一角に大量に貼ってあるのが、清水が大ファンだと公言してはばからない稲盛和夫の写真だ。年商1兆4000億円の京セラを1代で築いた稲盛。その伝説的手法は、全国の経営者から経営の手本として学ばれるほど。自ら主催する経営塾「盛和塾」の会員は、既に1万人を超えている。

清水が根室に「花まるをオープンしたばかりの頃たまたま手に入れたのが稲盛の講演を録音したカセットテープだった。清水は尋常ではない聞き方をしたという。

「カセットに顔がくっつくようにして、朝9時から夜中の12時まで1ヶ月以上聞いていたような気がします」(清水)

稲盛の教えが、確実に花まるを客が来る店へと変えていったという。他にも稲盛を師と仰ぐ経営者には様々な成功事例がある。

銀座の裏通りにある「銀座のジンジャー」。店内は客で満席だ。客のお目当ては、フルーツジャムをふんだんにかけたかき氷。他にないおいしさの秘密は、隠し味にしょうがを入れた甘辛い特製ミルクだ。この店を作ったのは、長年、金沢で果物農家を経営してきた「ぶどうの木」の本昌康社長だ。親から引き継いだ農園の横にカフェを作ったのを皮切りに、今やレストランなど30店舗以上を展開。東京に店を持つまでになった。

そんな本さんの成功を支えた稲盛の教えが「絶えず現場に足を運ぶことでヒントを見つけ出すことができる」だった。確かに本さんは、暇さえあれば現場に足を運び、社員や客と様々な会話をすることに時間を費やしている。

大事なのはお客様の声に耳を傾けることとスタッフの声に耳を傾けること。自分の思いだけでやっていたらこうはならない。稲盛さんとの出会いがなかったら、今日はなかっただろうと思います」(本さん)

人気のかき氷も、地元の名産であるショウガを使って何かできないか、社員と雑談する中で生まれたという。

一方、奈良市にあるのは、遠方からも客が詰めかけるおいしいパン屋の「アルペンローゼ」。経営するのは坂本輝雄さん、美幸さんの夫婦だ。厳しかった経営を乗り越え、今や3店舗を構えるまでになった。

そんな成功を支えた稲盛の教えが、「自分の利益だけでなく相手も利益が得られるように考える」だった。この店の売りは、保存料を一切使わない無添加の体にやさしいパン。無添加のパン作りにこだわったきっかけが、稲盛の言葉だった。どうすれば客の利益になるのか、そう考え続けた結論が、体にやさしいパン作りだったのだ。

自分の利益の前にお客様に喜んでいただく。一番大切なのはお客様の体を守る食べ物だということ。その後で利益をいただけたら、と」(美幸さん)

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