一方で籠池容疑者夫妻は、これらが明らかになると「政権批判」に話をすり替え、野党もマスコミもこれにのります。
テレビの密着取材に答え、正義が我にあり国策捜査により虐められる国民を演じ、拡散しました。
不正受給、詐欺行為が発覚し、それは政権による攻撃との論理のすり替えは社会正義を歪めるものです。だから、特捜が動き、逮捕にまで至った。事件の内容や規模は異なりますが、自らの不正を社会正義にすり替える手口は、ライブドア事件における当時の堀江氏の詭弁と同じです。
当事者が我が身を守るために説明を尽くす。それが詭弁になることはやむを得ないでしょう。
問題はそれを鵜呑みにし、批判を加えず放送するテレビ局にあります。ライブドア事件の時は、批判を加えていました。
読売新聞などによれば、籠池泰典容疑者は「本名・康博」であり、諄子容疑者も「本名・真美」とあります。
名前すら「騙る」人物の「語り」を鵜呑みにする。かつてはそれなりの社会正義に立ち、堀江貴文氏に批判を加えていたテレビはもうどこにもありません。
もしかしたら超絶劣化すら間違いかも知れません。
籠池容疑者夫妻に有罪がくだったとき、テレビやそれに連なるマスコミは「犯罪擁護」をしていたということで、それはもはや健全な社会の構成員ではなく、すみやかに組織解体しなければならないテロリストに近いでしょう。
つまり、報道機関ではなく工作機関、犯罪助長団体ということです。推定無罪の原則から、判決がくだるまで結論は留保しますが、超絶劣化であってほしいと、むしろ願います。
image by: 塚本幼稚園HP