以前掲載の「『ウチは大丈夫だから』という夫婦に限って突然、離婚するワケ」では、日本でも増加傾向にある離婚の原因を「男女の思考の違い」という観点から分析した、無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』の著者・真井花さん。今回は、世間でいう「価値観の違い」の乗り越え方を考察しています。
カチカンのクイチガイ
さて、本日は食い違いがちなモノのお話。
夫婦や家族と一緒に過ごしていて、ヒジョーによくあるのが、「価値観の違い」というヤツです。
私はあんまりこの言葉が好きじゃないんですよね。なんつーか、こう、何でもかんでも丸めすぎじゃないですかね。モンダイの把握が大ざっぱすぎて、思考停止に陥りがち( ̄- ̄)な気がするんですよ。しかも離婚事由っぽいし。
閑話休題。夫婦でカチカンのクイチガイが目立つのは
- おカネの使い方や貯め方
- 時間の使い方
- 義理の両親との距離感や付き合い
- 衛生観念
あたりじゃないでしょうか。心あたりがありませんか? ま、トーゼンなんですよね。いままで違う家庭で違う人生を過ごしてきたんだから、むしろ一致しているものの方が珍しいくらいで、大半のものは食い違っているはずですよね。
ところが、そうは思えないんですよ(既婚者なら誰しも経験があると思いますが)。
- どうしてこんなモノにおカネを使っちゃうの
- 買い物にそんなに時間をかけなくてもいいのに
- 週イチで実家に帰るくらいフツーだよね
- バスタオルは一回使ったら洗うでしょ
…つい、こんなふうに自分や自分の生い立ちに基づく考えを誰にとってもアタリマエで受け入れられるべきものと考えがちなんです。
こうしたクイチガイの背景にあるのは、自分の考えや感覚をもしかしたらそうじゃないのかもしれないと疑えないことに起因(0_0;しているんです。
- ジョーシキ
- フツーこうする
- 当然でしょ
- こうあるべき
と勝手に思い込んでしまっているんです。そして、ジョーシキだと思い込むことで、コミュニケーションレスは起こります。だって、「アタリマエ」なら説明する必要もなく理解してもらえるはずだから。逆に、これが解らないとすると、相手は
- フツーの人じゃない
- ズレている
- 感受性や知能にモンダイがある
ことになっちゃっているんです(^Д^)。…ケンカするときって、こうなっちゃってませんか。ハハハ。
ここからが難しいところなんですが、誰でも自分の考えをジョーシキであるとほとんど常に「思い込んでいる」んです。自分の考えというのは、自分と一体化しすぎており、自分と切り離して考えられないんですよ。別の言い方をすれば自分の体験から生じる思考や感覚が選択的であることが解らないということです。