日本統治時代に学べ。台湾の若者はなぜ「日本」を懐かしむのか?

 

日台友好の歴史についてたびたび紹介しているメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』の著者で台湾出身の評論家・黄文雄さん。今回は、2015年に台湾でヒットしたドキュメンタリー映画『湾生回家』をきっかけに、日本統治時代を知らなかった台湾人の若者たちが日本に親近感を抱くようになったという現象を紹介。さらに、日台友好を深めるイベントが台湾各地で開催されているという現状も、統治時代の歴史を交えながら明かしています。

※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2017年11月21日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め1月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

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2015年に台湾でヒットした映画『湾生回家』は、皆さんはご覧になりましたか? 日本統治下の台湾で生まれた日本人のこと湾生と呼び、彼らの激動人生を振り返ったドキュメンタリーです。

湾生たちは、日本が日清戦争に勝利し台湾を接収して間もなく、移民募集の呼びかけに応じて日本での財産を棄てて台湾へ渡りました。そして、荒れ地にバラックというひどい状況を与えられながらも、日本人移民たちは真面目に荒れ地を耕し、首狩り族の襲来やマラリアなどの伝染病という困難も乗り越えて、少しずつ生活の基盤を台湾で築きました。そうした日本人村は、かつて台湾各地にありましたが、特に現在の花蓮県を含む東台湾に多くありました。

その中の一つに吉野村というのがあります。吉野村は(現在は「吉安郷」という名前になっています)、徳島県の吉野川流域の人々が集まっていた集落だったことから名付けられました。一説によると、度重なる吉野川の氾濫に困っていた人々が、新天地を求めて台湾への移民募集に応じたということです。

その集落の守り神として建てられたお寺が「吉野布教所」、現在の「吉安慶修院」です。真言宗高野派で本尊の弘法大師像は日本から取り寄せたものでした。終戦によって本尊は日本に戻されましたが、1997年に国家第三級古蹟に指定されたのを機に、再び台湾の本堂へ戻ってきたそうです。境内には本尊のほか、四国八十八カ所霊場を模した八十八体の石仏、不動明王像、百度石などもあり、日本統治時代当時の写真や歴史的意義を記した展示もあります。

吉安慶修院(花蓮県)

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