それでも核武装への疑惑が消えないのは、歴代政権の政治姿勢に原因がある。岸信介氏が首相だった時代から「憲法は核兵器の保有、使用を禁止しているわけではない」という解釈をとり続けてきた。核兵器開発の道を閉ざさないようにしておくという国家の意思が明白である。
手間やコストがかかっていいのなら、日本の技術をもってすれば、使用済み核燃料を精製してプルトニウム239の割合を93%以上に高めることは、不可能ではないのかもしれない。
加えて、高速増殖炉「もんじゅ」がつくり出す高純度のプルトニウム239は核兵器に転用できるという見方もある。もんじゅの廃炉が決まっているとはいえ、政府は高速炉の研究開発を継続する方針を崩していない。
こうした姿勢からは、「核燃サイクル」という理屈で原発を温存しつつ、プルトニウム利用技術の開発を進め、核の軍事転用にいつでも対応できるようにしておこうという思惑も見てとれる。
本稿では、英国への原発輸出からはじまり、中国との競争、核兵器の問題まで話を広げてしまった。すべては、唯一の被爆国であり未曽有の原発事故を起こした国にもかかわらず、なぜ原発にこだわり続けるのかという疑問から出発している。
地球の恵みを奪い合う国家エゴ、民族対立がエスカレートし、大きな戦争を予感させる不穏な空気が世界に広がっている。他に勝って利益を得たいという欲望と、その背中合わせの恐怖が、いったんバランスを崩したら、下手をすると核戦争にもつながりかねない。
原子力の平和利用というのはもはや過去のお題目に過ぎない。原子力の暴走と核爆弾の被害を経験した日本がそんな言葉を使うのは欺瞞的である。「脱原発」の先進国モデルをつくって地球人類に貢献するのがこの国の進むべき道ではないか。
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