【書評】それでも北斎が写楽だったと信じたくなるこれだけの証拠

 

決定的ともいえるのが、二人の絵が同一の版木の表裏を使って摺られていたという事実だ。同一の作家である可能性が濃厚だ。何よりも美術的なスタイル、様式論からこの二人が同じ作家であることが明確に分かる。春朗時代の北斎と写楽にはさらに共通点がある。スポンサー、プロモーターの蔦屋重三郎が二人の浮世絵を企画、出版していた。蔦屋は写楽を最前線に引き出した人でもある

蔦屋と写楽は類型的な役者絵や美人画ではなく、思い切って顔に個性を入れた。顔を中心にした大首絵に、役者の感情や表現を加えた。しかし写楽はわずか10か月で筆を捨て姿をくらます。太田南畝の写楽評にあるように、あまりにも役者の本性を映し出した表情なので、役者やファンに憎まれたということも考えられる。写楽を捨てた北斎の人物画は、その後定型化、類型化していく。

写楽が10か月で浮世絵をやめたもうひとつの理由は、写楽の図が華やかな雲母摺りであったため、寛政の改革にひっかかったということもある。写楽が消えて以後の北斎は30回以上名前を変え、90回以上も引越をして幕府の追及から逃れようとしている。写楽の役者絵は個性的だが普遍性はない。肖像画を描く技量は十分あるが、自ら描きたいものではなかった。10か月で145枚の作品を残した写楽、じつは葛飾北斎だった。非常に納得できる説明であった。しかし、この本のタイトルの芸のなさといったら……。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock.com

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