日本の「海水浴離れ」が深刻化。それでも湘南・三浦が賑わう理由

 

クラブ化した「海の家」騒音問題は今

三浦海岸には元キマグレンのクレイ勇輝氏が経営する「音霊(おとだま)シースタジオ」という、海の家形式で夏にのみ出現するライブハウスが、昨年より出店している。

この音霊はなかなか問題児で、騒音が住民に問題視され、2014年に逗子を追われ、17年に由比ガ浜を追われ、三浦海岸に活路を求めた。

三浦海岸音霊シースタジオ

キマグレンの2人は逗子市の出身で、音楽活動を行いながら広告会社を経営。地球温暖化により逗子の砂浜が年々後退していくことを訴え、浜辺の清掃活動などと共に、音楽で地元を盛り上げることができないかと、夏季限定のライブ専門海の家、音霊を提案した。

つまり地元愛と、逗子から音楽を発信し、地球環境問題を訴えるという高い理想が企画の原点だったのである。2004年から営業を開始し、持ち前の営業力で大物アーチストを次々とブッキング。最大1,000人を収容する音霊の発展と共に、逗子の海水浴客もぐんぐんと上昇。08年にキマグレンは紅白歌合戦に出場、アルバム「ZUSHI」がオリコン1位となってアピール。2010年に24万人だった客数が、13年には3倍近い73万人を記録した。

三浦海岸音霊の出演者

三浦海岸「音霊」の出演者一覧

騒ぐ「パリピ」、怯える市民たち

この13年は、片瀬西浜では藤沢市や警察からの要望もあり、海の家で音楽を鳴らすのを禁じた。クラブ化した海の家が、昼間から閉店時間の夜8時まで重低音を響かせていた。水着で踊り狂う若い男女の姿が、市民を怖えさせていたのだ。クラバーやパーティー好きの「パリピ」たちが、おしゃれで入れる刺青は市民を震え上がらせ、浜に近寄らなくなっていた。

昼間から酔いつぶれて、住宅街の道で寝ている者もいた。海の家がクラブ化した背景には、この頃六本木や西麻布の飲食店の営業で顧客を躍らせていた違法クラブが次々と摘発され、顧客が海の家に移ってきていた事情があった。

そうした片瀬西浜に来ていたパリピたちが、どっと音楽規制の緩かった逗子に流れた。確かに観光客が増えて賑やかになったが、逗子駅前に刺青が入った水着の若者が夜中までたむろし、酔っ払いの喧嘩が絶えない状況に陥った。7月には海岸近くの駐車場で殺人事件も起こった。

こうなると、地元のヒーローで、かながわ観光親善大使でもあったキマグレンだが、一転してクラブ化の総本山と市民に目されるようになる。彼らの音楽が、バカ騒ぎするパリピの趣味に合っていたかは微妙だが、重低音を響かせるライブもあった。逗子、由比ガ浜が続けて音楽規制に踏み切ったため、三浦海岸に転出せざるを得なかったのだ。

逗子海岸海のルール

JR逗子駅のきっぷ売り場上に掲げられた、逗子海岸「海のルール」

現在、逗子市と鎌倉市は歩調を合わせ、条例により海の家以外での飲酒禁止、音響機器使用禁止、BBQ禁止、そして刺青を隠すことを徹底しており、ライフセーバーに協力してもらって守らない者に注意を促す。パリピが野放図に騒ぐのを抑えている。

逗子海水浴場は13年の73万人が14年には20万人へと、由比ガ浜海水浴場は12年の90万人が15年には52万人へと、共に一時期より海水浴客は激減しているが、「市民が楽しめる海を取り戻すために止むを得なかった」(両市の市役所観光担当者)と考えている。

逗子海岸海水浴場「ウォーターパーク」のアクティビティ

逗子海岸海水浴場「ウォーターパーク」のアクティビティ

なお、17年の逗子の海水浴客数は29万人、由比ガ浜の海水浴客数は53万人で、いずれもファミリー中心に顧客が入れ替わりつつあり戻してきている。

結局キマグレンは15年に解散し、クレイ氏が音霊を守っているが、三浦海岸では同じ失敗を繰り返さず、市民とライブに来る顧客が融合する施設として持続可能なのかが問われる。

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