昨年、セレーナは『Fortune』誌に、有色人種の女性に対する悲惨な賃金格差や、その状況を変えるために何ができるかについてのエッセイを投稿。
黒人女性の賃金は白人男性の63%しかなく、白人女性の賃金より17%少ない。私は幸運にも経済的には成功しましたが、テニスコートの内でも外でも、人種差別的な批評をされてきた。
(記事より一部抜粋)
また、昨年4月にセリーナが妊娠を公表した際には、ルーマニアのテニスの代表監督イリ・ナスターゼ氏が、「どんな色の子どもが生まれるのか? チョコレート・ミルク色?」と信じられないコメントを発表。さすがにこれには批判が集中しました。
このときのセレーナは今回のファイナルでの過激な口撃とは違い、冷静かつ毅然に対応。
私や私の子どもに対し、このようなことをする社会に生きていることに絶望しています。
(中略)
あなたは、言葉や視線でわたしを深く傷つけることもできる。
憎悪でわたしを殺すこともできる。
それでも、あたかも自然に、わたしはまた立ちあがる。
SNSでこう発信し、まさに“Thank you Serena for standing up for us!”とアメリカ中が賞賛しました。
今回のファイナルでも、もっと違う形で抗議していれば、セレーナの株はもっともっと上がったはずなのに。残念でなりません。
そして、あの場にセレーナがどういう気持ちで挑んでいたのか? 大坂選手がどう感じていたのか?
このことは多くの日本人には永遠にわからない感覚かもしれません。
私が子供の頃、南部のアラバマ州に住んでいたことは何度も書きましたが、その時の経験は想像を絶するものものでした。
夏休みになると子供たちはYMCAのプールに毎日行きます。私も例外ではありませんでした。ある日のこと。プールでいつもどおり遊んでいると、突然監視員がけたたましく笛を鳴らし、プールから出るように指示。ものすごい剣幕で「プールから出て!」と促されました。
そのとき「ナニ」が起きていたのか、私にはわかりませんでした。
あとから父が教えてくれたのですが、黒人の少年がプールに入ったことが原因でした。当時のアメリカでは「プール」に黒人が入る権利がなかった。入るなら黒人専用のプールと決められていた。少年は「招かれざる存在」だったのです。