深い日台の絆。自転車メーカーGIANT創業社長が日本から受けた大恩

 

近年、健康志向やエコロジー、さらには外国人観光客によるインバウンドを意識して、日本では、その地域の自然や景色を自転車に乗って楽しむ「サイクルツーリズム」が全国で流行しつつある。

2020年には、東京オリンピック・パラリンピックが開催される。ロードレースをはじめとする自転車競技が行われるとともに、多くの外国人観光客が日本を訪れるので、日本のサイクルツーリズムに拍車がかかると見られている。

日本のサイクルツーリズムに一役買っている台湾人実業家がいる。世界最大の自転車メーカーであるジャイアント・マニュファクチャリング巨大機械工業股有限公司の創業者・元社長である劉金標である。

劉は、日本の多くの地方自治体とともに自転車を取り入れた地域振興を精力的に進めた功績が評価され、2017年には旭日中綬章を受章している。

ジャイアントの自転車の年間製造台数は650万台を超え、台湾を中心に世界に9つの工場と13の拠点をもつ、まさしくグローバル企業である。

劉金標は1934年、台中州(現・台中市)に生まれた。日本統治時代の経験は11年だが、流暢な日本語を話す。劉は「小学校の同級生なんかは、もう日本語、ほとんどできなくなったんですね。私は日本との仕事もありますし、家庭で日本語を話せる人がいた。それに日本と日本の文化が好きでございますので、学ぶことを中止しなかったんですね」と語っている(野嶋剛『銀輪の巨人』東洋経済新報社)。

劉の英語名はキング・リュー。日本語の話しぶりは、穏やかな町工場の社長といった風情である。

劉が自転車メーカーを創立したのは1972年。その理由は、69年に台湾を襲った台風により、当時、ウナギの養殖業を営んでいた劉は壊滅的な被害を被ってしまった。

ウナギの養殖業をあきらめた劉は、当時、アメリカでエコ志向の高まりから空前のブームとなっていた自転車の製造に乗りだした。アメリカのメーカーも、安価な生産拠点として台湾に注目していたのだ。社名は、地元で活躍していた少年野球チームにあやかり、「ジャイアント」と名づけた。

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