平成最後の亥年の縁。狛猪が出迎える京都護王神社に加護を求めて

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京都御苑の西隣にある護王神社は、狛犬ではなく「狛猪」が出迎え、境内のあちらこちらにイノシシがいるという一味違う社です。奈良時代の末期から平安時代の初期にかけて活躍した和気清麻呂を祭神としていますが、当社が足腰の守護で知られているのは、その和気清麻呂に由来するのだとか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、護王神社と切っても切れない和気清麻呂の生涯を紹介しています。

護王神社と和気清麻呂

平安京の造営に貢献し九州への長旅を制覇した和気清麻呂公を祭神としているのが護王神社です。烏丸丸太町の交差点から少し上がったところにあります。右側は京都御苑です。

護王神社は足腰の守護で知られています。和気清麻呂が旅の途中に猪の加護により痛めていた足が不思議と回復したと伝えられています。そのため境内入口には狛犬ではなく狛猪が迎えてくれています。有名寺院ほど知名度はありませんが、有名なスポーツ選手の祈願も多く集めています。スポーツ選手にとっては自分の足腰は特に大事な商売道具でしょうからね。大多数の一般の方々は足腰が弱ったり、痛めたりといえば年配の方です。まだまだ元気だという方も足腰の守護を祈願してみてはいかがでしょうか?

さて、幾多の困難を乗り越えながら国のために貢献した和気清麻呂の話をしましょう。

護王神社の祭神は和気清麻呂、奈良時代から平安時代初期にかけて活躍した人物です。多くの功績の中でも有名なのが宇佐八幡宮神託事件です。清麻呂公は称徳天皇の寵愛を受けた僧・道鏡が皇位に就くことを阻止する為、九州の宇佐八幡宮まで行き神託を奉じて戻りました。

清麻呂公は一時称徳天皇と道鏡の怒りを買い流罪の身となってしまいます。宇佐八幡宮で正しい神託を得て天皇に報告すると、道鏡の怒りを買ってしまいました。その結果大隅国今の鹿児島県へ流されることになりました。

道鏡は清麻呂公に刺客を送りました。その刺客によって足の筋を切られてしまい立つことも困難なほど足の具合が悪くなってしまいました。それでも清麻呂公はイノシシの加護によって再び立ち上がることができるようになったと伝えられています。

桓武天皇の時代になると清麻呂公は平安遷都の際に造宮大夫として大変貢献しました。そのため護王神社は、天皇家とのつながりのある神社なのです。以前は高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社がありました。明治天皇の勅命によって京都御所のすぐ西側に移されてから今の場所に落ち着きました。

護王神社には和気清麻呂公とその姉・和気広虫姫命が主祭神とし祀られています。また清麻呂公を支援した藤原百川、道鏡の師・路豊永(みちのとよなが)を配祀しています。

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