日本の歴史上、海外でもっとも成功した人物を知っていますか?

 

海外に渡り海外で活躍した歴史上の人物の意外な少なさ

現代の日本は、先進国の、それもトップ集団の中を走っている国であると思います。近年は、英語にも多くの人が抵抗がなくなってきたのではないかとも感じます。ヨーロッパ行きの飛行機のビジネスクラスは日本人ビジネスマンで満席です。単一民族に近い環境を生きてきた日本人も、ようやく外国人アレルギーを取り除いて活動できるようになってきたのだと実感するのです。

歴史的に見ると、海外に渡って学んだあと、日本で大活躍をしたという人はたくさん存在します。古代においても、遣隋使で中国に渡った小野妹子、高向玄理、僧旻、南淵請安など初期の渡航者達の日本建国へ果たした役割は非常に大きなものがありました。高向玄理も南淵請安も、608年に渡り640年に帰国しましたから、32年もの長きに渡り中国に滞在し研鑽を積み知識を持ち帰りました。ここで得た知識が、日本の礎になっていったのです。

一方、海外に渡って、海外で活躍した人となると、あまり名前が出てきません。実際は沢山いたのかも知れませんが、日本に知られていないだけなのかも知れません。 テレビ朝日の「こんなところに日本人」という番組をよく見るのですが、多くの人達は海外青年協力隊での渡航や、それに付随して活動している人たち、もしくは、海外の人と結婚しその国に渡った人達です。彼らには与えられた人脈と収入が得られる生活の場があります。

そうではなく、時々ですが、信念を持って海外で事業を興し、地域貢献を果たしている人達がいます。過去の困難を明るく話す彼らの姿は、本当に感動や勇気を与えてくれます。 一般の人々の活躍に反して、歴史上の人物として名前を残している人はあまりいません。

ジョン万次郎は、難破し漂流した後、アメリカの捕鯨船に助けられました。船長の好意でアメリカ本土で3年間大学で学び、その後、捕鯨船で働き、カリフォルニアで金鉱を掘り船を所有するまでになり琉球へ渡りました。その後の活躍の場は日本でしたがアメリカ側の通訳として活躍しました。

山田長政は、シャム国のアユタヤに渡って日本人町の長となりました。活発に貿易を指導し、地元での治安維持にも活躍したことが知られています。そして、隣国リゴールの太守にまで出世しました。でも、江戸時代に活躍した、この2名ぐらいしか名前が思いつきません。

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