一方の「経営の奇才」である藤沢さんは、和洋を問わず音楽に造詣が深くかつ商才があり何事かを成し遂げたい強い思いを持った人です。その藤沢さんは本田さんのことを「あんなバケモノみたいなすごい人物には、いまだかって会ったことがないよ」、そして「二人ともお金には潔癖だったな。経営の場には私的な欲望を持ち込まなかった」と言われます。
異なる好みや才能を持つ強烈な個性は、厳しい賢さと同じ価値観があったので互いに信頼を寄せ合って、お互いの得意を犯さずに補い合って絶妙のハーモニーを奏でることができたと言えます。
※一言、ここで「厳しい賢さ」と言っているのは、素直にものごと見て考えて判断し行動できるということを表しています。
藤沢さんは、本田さんというバケモノを表舞台に出すことによって大きな物語を描き出そうとし、本田さんは自分が好きなことに没頭したいがために不得意なことを藤沢さんに委ねました。ここで一言、近代経営において大きな成果を手に入れようとするなら、多様な才能が協働しなければならず、二人はこの原則の形を採ったのです。
ところで秀でて成功しようと目論むなら、秀でた天才が必要です。そうしたら、本田さんのような天才にどうしたらなれるのか、そのための急所が何なのかをつかみたいと思うのです。
本田さんは、得意な技術開発についてこのように言っています。
はたと困る。というのはすばらしいチャンスなのだ。
創意発明は天来の奇想によるものでなく、せっぱつまった、苦しまぎれの知恵であると信じている。
成功とは99%の失敗に支えられた1%である。
簡単にギブアップするということをしなかった。一見むりなものが、ああやってダメなら、こうやってみるというねばりの前に可能性を持ち始めた。
また
私は真似がいやだから、うちはうちの作り方でやろうということで苦労をしたわけである。最初から苦しむ方向をとったから、あとは楽になった。真似をして楽をしたものはその後に苦しむことになる。
逆境をくぐり抜けないで、成功しようなんて無理ですね。
その一方で教わることにも積極的で、こんなことを言っています。
自分の知っていることは、あまりにも貧弱なことと感じている。何かを投げかけることで、新しい興味ある知識なり考え方なりが返ってくるかもしれないではないか。
失うべき何もなく、聞くことが平気だから知恵がどんどん入ってくる訳だ。
※本田さんは、とにかくおしゃべり好きだったそうで、誰彼となく知らないことや疑問に思っていること聞き出し問いかけて、そうすることで自身の考え方を確かめまとめて行ったそうです。