さらに
そっくり他人に教わると思わず、本に書かれたものをそのまま鵜呑みにしなかった。
おれが知りたいのは未来なんだ。学校で教える知識は過去に属する知識だ。こやしならぬ過去なら捨てたほうがよい。知らいないことは専門家に聞けばよい、安心して聞いた。私にあるのは教わった知識とそれとともにやって知った体験で、それが未来にすすむ力になってきているのでないかと思う。
好きこそものの上手なれ。これはどこにも通じる真理だと思う。命令され働くのと自主的に働くのとでは全く違う。
そして、さらにただ単なる天才的な技術屋でないのは
俺が見たのは必ず実現する夢ばかりでね。具体的でないと考えるのも嫌なんですね。
商売というものは厳しい競争である。商売の世界にはゴールはない。永遠に夢見て生き残って行くための努力を続けるのである。
得意なことを一途にやっても、つぶれかけることがある。ましてや不得意な分野に手を出した人が失敗するのは当たり前。
画家のシャガールのように、使命感の感じられる何かを見つけたら、また必死になって研究する自信はある。
社長の仕事はつきつめていくと「人事」だけと思っている。
研究所は、技術を研究する所ではない。人の気持ちを研究する場所だ。
寝食を忘れて技術開発に取り組んだからな。それができたのも藤沢と出会ったからだ。カネのことや営業、経営はあちら任せ。社長判も預けちゃった。藤沢が来て、研究に打ち込めるようになったから、次々と新製品ができたと思う。それには河島喜好、久米是志なんかも付き合ってくれたからだ。
おもしろいエピソードがあります。取引先の外国人を浜松の料亭に招待したとき、その外国人が誤って便所の便ツボの中に入歯を落としてしまったのです。そのときに、本田さん自らが広い便ツボのなかにもぐりこんでソーッとかき回して、やっと見つけ出すことができたそうです。その時の気持ちを
ああいうことは他人には頼めないだよ。誰だっていやなんだもの。俺だっていやなことだが、なくなったら困るよ。俺が行けば丸く収まるものな。スパナで部下の頭を殴ったり、藤沢も口やかましくどなりつけたりしたけど、脱落者が出ずについてきてくれたのは、僕も藤沢も、人に好いてもらっていたからだと思う。いやなことは自分がまっさきにやらにゃあね。
本田さんにしろ藤沢さんにしろ、その本質を言い表そうとするならば最もよい言葉は「アーティスト」であるということで、その作品は「企業」であって原理・原則的な感性を持つ「世界的企業」であると言えそうです。ゴッホの描いた「ひまわり」と何ら異なることはなく、同じく情熱家の行いであって、違っていたのは二人ともが「賢い現実家」であったことでしょう。
image by: Honda 本田技研工業(株) - Home | Facebook