ソ連と組んだヒトラーの戦略
ここで止まっておけばよかったものを。
ヒトラーは、次に進みます。彼には、三つの目標がありました。
- ヴェルサイユ条約で失った領土の回復
- ソ連の資源を確保する
- ソ連共産主義を根絶すること
そう、彼の主敵は「ソ連」だった。それで、イギリスもフランスも、当初はヒトラーの動きを容認していました。なぜなら、「ヒトラーのドイツは、ソ連の侵攻を防いでくれる防波堤になる」と考えていた。
ヒトラーは、1938年、オーストリア併合、1939年3月、チェコ併合。これは、何の抵抗もなく行われたのです。
次に目をつけたのが、ポーランド。ヒトラーは、「ポーランドを攻めると、イギリス、フランスが動くかもしれんな」と懸念します。それで、驚きの行動にでました。1939年8月、なんと「仮想敵ナンバー1」であるはずのソ連と「独ソ不可侵条約」を結んだ。
この「非道徳的行動」の「戦略的意義」は????そう、「二正面作戦」を回避するためです。ポーランドを攻める。イギリス、フランスが、西からドイツを攻撃する。ソ連が東からドイツを攻撃する。こうなるとドイツは「やばい状況」になりますね。だから、ヒトラーはスターリンに、「東欧は、ドイツとソ連で分割統治しよう」と提案し、合意した。
スターリンは、なぜこの話に乗ったのでしょうか?ヒトラーがイギリス、フランスと戦ってくれる。すると、ドイツ、イギリス、フランスがみんな疲弊して、ソ連だけ無傷でいられるでしょう。
こうして、ヒトラーは1939年9月、ポーランドに侵攻。イギリス、フランスが宣戦布告し、第2次大戦がはじまりました。しかし、彼は、東のソ連と不可侵条約を結んでいるので、安心して西に向かうことができた。ポーランド、デンマーク、ノルウェーなどをアッという間に制圧。そして、1940年6月、なんと大国フランスを1か月で降伏させることに成功します。
ヒトラーはなぜ負けた???
こうして、ドイツは、東欧、西欧、北欧で、むかうところ敵なし。残るは、「イギリスだけ」という状態になった。東は、独ソ不可侵条約で、まあまあ安心できる。だから、ほとんど全勢力をイギリス攻略にむけることができる。ところが…。
ヒトラーは、ここで大きなミスを犯します。なんと、スターリンとケンカしはじめたのです。理由はいろいろありますが。たとえばソ連は、ルーマニアに侵攻した。ドイツは、ルーマニアの石油を必要としていた。また、ドイツは、フィンランドに進軍していた。ソ連は、「フィンランドは、俺たちのものだ」と主張していた。ドイツとソ連は交渉をつづけますが、お互い譲歩することができず、まとまりません。
1940年11月、ヒトラーは「ソ連侵攻」を決意します。なんと「5か月でソ連との戦争は終わる」とアマアマな見通しをもっていた。1941年6月、ドイツはソ連を攻撃し、独ソ戦が始まりました。大喜びしたのは、イギリスです。これでドイツは、西からイギリス、東からソ連に攻められることになる。
1941年12月、日本が真珠湾攻撃し、日米戦争がはじまった。ヒトラーは、アメリカに宣戦布告しました。これで、ドイツは、アメリカ、イギリス、ソ連を同時に敵にした。彼の運命は、1941年12月に決まったのです。