【中島聡 × 片山恭一】AI時代に文学やエンタメはどう変貌するか?

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近い将来に訪れるとされている、人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点「シンギュラリティ」。「Windows 95を設計した日本人」として知られる世界的エンジニアの中島聡さんは、2018年にNPO法人「シンギュラリティ・ソサエティ」を設立し、来るべきシンギュラリティの時代に活躍する「未来の設計者」たちを支援する活動を展開しています。

その「シンギュラリティ・ソサエティ」の主催で、先日都内で開催されたのが、『世界の中心で、愛をさけぶ』などの著作があるベストセラー作家・片山恭一さんと、中島さんによる対談イベント。今回はその直前のお二人を直撃し、シンギュラリティ時代のエンターテインメントの形、そして文学が果たす役割などについて、大いに語っていただきました。

来たるべきAI時代に文学やエンタメはどう変貌するのか

―――シンギュラリティへと向かっていく時代のなかで、文学はどのような役割を担っていくべきだと、片山さんは考えていますか。

片山 AIはデータによって学習していくわけですよね。データは、すでに在るものからしかデータを取れないですが、僕が考えてる文学というものは、まだ無いものというか、この世に生まれてないものを、言葉を手掛かりにして何とか作り出すことなんです。

最も古くは「神」という言葉が作り出されたと思うんです。その「神」という言葉は、キリスト教で2000年ぐらいはもちましたが、どうも賞味期限が来ている。で、今から200年ぐらい前には「自由」と「平等」という言葉が作られましたが、これらもその当時までは観念としても、概念としても、存在しなかったわけです。しかし、この「自由」「平等」という言葉ができたことで、その言葉に魅惑された人たちが、この200年ぐらいの近代を作ってきました。

でも、やっぱり「自由」や「平等」も、世の中がグローバル化することで、うまくいかなくなって来ている。「神」という言葉が終わり、「自由」と「平等」もこのままじゃうまくいかなそうになった。友愛なんて絵空事だってことになってしまうと、また次の新しい言葉を作らないといけないのですが、僕はそれをやりたいと思っています。

僕だけでそれができるかどうかは分からないけれども、そんなことを考えようとした痕跡だけでも残しておけば、次の世代が引き継いでくれると思うんです。だから、そういう印というか試みといったものを、何らかの形で残していくというのが、僕が今、非常に大事だと思っていることなんです。

僕らはコンピューターが出てくる前の生活も知ってるわけですが、今の時代はすごく変化が速すぎて、テクノロジーの進歩に人間が追いついていっていないのが現状だと思います。ただ、今が一番の大きな変わり目なので、変化しているということは分かるんです。ところが、これがあと10年とか20年経って、コンピューターやインターネットがネィティブな世代が中心となってくると、それがもう自然になってしまっているから、恐らく変わったことすら分からなくなると思うんです。だから、変化の真っただ中に今いる僕たちが、どう変わっていってるのかを、書き残しておかないとと思っています。

それが果たして文学になるかは、今のところ分からないです。結果的に小説になるのかもしれないけれども、それよりも、今の世界の動きの激しさ、そういうものを僕は掴みたい。できればそれを楽しんで、面白いことをやりたいという気持ちでいます。

―――片山さんにとって、そういう時代に立ち会えたことで、腕が鳴るという感じなんですね。それはシンギュラリティの時代を迎えるにあたって、我々が持つべき心構えにも共通してくるような気がします。

片山 そう思っておいたほうがいいですね。単に「大変だ」って言ってても、しょうがないわけですから。

それに人間の中の何が変わるといっても、逆に変わらないところもあるわけでしょう。僕らが万葉集の歌を読んで、心が通じるのは、昔から変わらない情緒みたいなものがあるからで、だから古典は残っていくわけですよね。そうやって、すごく変わっていくところと、ほとんど変わらないところがあると思うんです。倫理や人を思う気持ちであるとか。そこを見極めるのが、僕は大事だと思います。

表層的には変わっても、土台がしっかりしてれば、どんな時代でもやっていける。そういう確固とした、できれば善良なものや人間の中の善きものを、見極めていきたいと思います。

―――AIの時代を迎えると、小説もAIが書き始めると予測をする人もいます。片山さんは今後のAIと文学との関わり合いについて、どういったイメージを持たれていますか?

片山 どうなるかは分かりませんけど、書店にそういうコーナーができるといいんですよ。「AI文学」と「人間文学」みたいな。棲み分けしてもらって、両方読めるようになれば、それはそれでいいんじゃないでしょうか。でも私は、AIが文学を書けるかどうかに関しては、あまり真面目には考えてないです。

今のデジタルカメラの中にも、小さなAIが入っているわけですよね。昔のカメラは、いちいち人間がピントや絞りを合わせたりと、それなりのスキルが必要だったのが、今はシャッターを押せばたいがいは撮れてしまう。そういうツールとしてのAIが、文学の創作を助けることはあるでしょう。ただ、デジカメで撮ったものとフィルムで撮ったものとで、どちらが作品として優れているかはまた別の問題ですよね。

小説を書く際も、今後はなんらかのアルゴリズムが開発されて、キーワードを入れれば誰もが簡単に書けるようになるかもしれない。「夕暮れ」「コーヒー」「海辺」って入れると、勝手にそういうシーンを書いてくれるとかね。ただ、そういう使いやすさはあるかもしれないけれど、それと創作や表現することとは、また全然別の話だと思います。

中島 AIはちょっとしたシーンの描写はいいかもしれないけど、やっぱり真っ当な小説を作るとなると、また違うというのは僕も同感です。

ただ売れる小説を書くのであれば、AIは広告のようにABテストができるから、例えばAIが小説を2種類作って、そのAとBのストーリーをインターネットで公開する。すると、読んでる人がどこまで読むかはわかるんです。面白くなかったら、途中で読むのをやめちゃうので。で、読むのを止めた人が多いほうは捨てるといった、そういうABテストをずーっと繰り返しながら小説を作っていくと、それはひょっとして最後まで読まざるを得ない小説になるかもしれないですね(笑)。

片山 負けましたよ(笑)。そうなった時は、敗北を認めます。まぁ、すでにヒット曲を書くアルゴリズムは、あるらしいですね。それこそデータを集めて、どういうリズム、どういうメロディ、どういう和音が好まれてるのかを入れておけば、ある程度ヒットする曲ができるっていう。

―――ただ、小説は人間の心理の機微を描くものだから、AIにはそれは難しいのではと思うのですが……。

片山 いや、今の中島さんの話を聞いてると、それも難しくないかもしれないですね(笑)。ただ、僕が考える小説は、一人の人に向けて書いてるんです。読者は一人いたらいい。この世界で一番大切な誰か一人に届けばいいと。

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それは自分かもしれないけれど、じゃぁ僕に届く言葉って何かというと、僕が末期のがんで余命半年と診断された時に、自分を支えられるような、自分の心に届くような言葉が作れているかなんです。自分の言葉で、余命いくばくもない自分自身を支えることができるか。もし、そういう言葉を作れれば、その言葉は恐らく万人に通じるはずなんですよ。

一人の人間を支えられる、死にたいと思っている人を生に引きとどめられる……そういうものをたった一人の人にでも届けば、それはもう誰にでも本当は届くだろうと。ベストセラーになるかは別として、小説の言葉はそれを目指しているのですが、これはデータから取れるない気がしますね。その人の固有のものだから。

僕自身ががんを宣告されたときに、どういう言葉が心に届くのかは、それは僕固有の問題でしょう。でも、本当の固有の問題をきちっと書けば、それはおのずから普遍性を持つ。一般的なものが普遍性を持つのではなく、本当に届くものは、ある意味固有なものなんですよ。ゴッホにしても、あれだけ個性的な、あの人しか書かなかった絵を描いたから、今では万人にいい絵だと思われてるわけで。またバッハの曲も、誰もが作れる作品じゃなくて、彼にしか作れない固有の世界を音で描いたから、いまだに残っている。だから表現というものは、AIがデータを取るのとは、まったく逆のことをすることなのかもしれない。

―――普遍的なものを作ろうとする時に、AIと小説とがまったく反対のアプローチを取るというのは、すごく面白い話ですよね。

片山 いや、ビックデータを元にAIが作ったものは、本当の意味での普遍性は持たないと思います。一時は消費されるけれども、時間が経つと消えていく。

やはり一人一人が苦しんで、自分なりに生きて、こんなことを感じたとか、こういう悲しいことや嬉しいことがあったというものを、きちんと作品として残したもの。その人自身が生きた「生の痕跡」を、音楽や絵画や言葉で残したものが、普遍性を持ち、時代を超えて支持されるものになるのではないでしょうか。膨大なデータの最大公約数を出しても、一時的には消費はされるかもしれないけれど、すぐに飽きられて、長持ちしない気がします。

AIが上手な小説を書くとすれば、暇つぶしというか、夢中で最後まで読んでしまうけど、翌日には全然何も残っていない作品ではないでしょうか。ハリウッド映画でも、最近はそういう作り方をしてるみたいですけど。

そう考えると、人間はまだまだやることがいっぱいあって、逆にAIができることはごく一部と考えたほうがいいんですよ。ただし、そのAIができるごく一部を、無茶苦茶なパワーでやってしまうものだから、世界を変えるだけの力になると思うんです。そこがやっぱりAIと良い関係を保つにあたって難しいところだし、僕らが一番考えなければいけないところですね。

―――シンギュラリティを迎えると、世の中はガラリと変わるだろうという人もいますが、片山さんの話をお聞きすると、そんなには変わらないという見立てでしょうか?

片山 というか本当に怖いのは、どこがどう変わっているのかがわからないところなんです。知らないうちに人間という概念が作り変えられて、人間が別のものになってしまう。人間の定義が変わるぐらい大きな変化が起きるかもしれないけど、それに僕らは多分気づかないだろうと思うんです。

例えば歯医者さんの治療ひとつをとってみても、僕らのころは虫歯を治したり、入れ歯を作ったりするぐらいだったのが、今では歯のホワイトニングまでやってますよね。ホワイトニングって大げさに言うと、歯のアップグレードで、人間が自然に持ちえなかった歯の輝きとか白さを搭載してしまうわけです。

もう少し本格的に考えていくとゲノム編集とかで、それまでなかったような能力を身に付けるとか、病気にならない体質に作り変えるとか、そういうことも、今後は医療行為として行われるようになる。僕らがもう歯のホワイトニングを不自然と思わないのと同じように、ごく自然に行われるようになると思うんです。

最初は「がんのリスクを減らします」とか、そういうきっかけで始まったものが、どんどん広がるうちに、気が付いてみると、人間そのものが変わっていたということは、十分考えられると思うんです。僕がイメージするシンギュラリティ、そういうことなんです。誰もが「シンギュラリティをコレだ」って分かるような形では来ないような気がします。いつのまにかこうなってしまっていた、っていう……。

中島 よく「2045年にシンギュラリティが来る」って言われますけど、僕もそれは全くのデタラメだと思います。どこかの1点じゃないですよ。やっぱり、すごく時間をかけた変化のなかで、いろんなことが起こる。パソコンとかインターネットが登場した1990年ぐらいから、シンギュラリティと呼んでもいい変化は始まっていて、僕らはその只中にいるわけです。

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1年や2年のスパンでみると、そうではないかもしれないけど、5年や10年で考えるとべらぼうに変わっていると。今はもうスマホのない生活は考えられないけれど、それもたった10年の歴史しかないんですよ。それに、iPhoneが出たばかりの頃は、僕はこの業界にいたから大騒ぎしてましたけど、大多数はわかってなかったというか、価値を理解してなかったわけでしょ。それがわずか10年前のことですからね。ということは、10年後の今日には、多分僕らがまだ見たことのないものが、もうみんなが持っていて、今の僕らが見たことがないようなものが、なくてはならないものになっているかもしれない。すごい時代に生きてるなって思いますね。

さっきの片山さんのホワイトニングの話じゃないんですが、アメリカに行くとみんな歯並びが良くて、歯並びが悪い人間は見下される。子供時代に歯をちゃんと治療するお金を親が持ってなかったって見られるんです。韓国に行くと、女性はみんな整形してるわけでしょ。それは日本人から見ると変なのかもしれないけど、韓国ではそれが当たり前で、逆に「整形しないのはなぜ?」っていう反応になると。

それと同じように、今後は遺伝子治療が次第に定着化していくことも考えられるわけで。例えば子供の教育にしても、いくらお金をかけたって思うように頭がよくなるわけじゃないから、「だったら、生まれる前に遺伝子で治しちゃったらいいじゃない」ということになるかもしれない。そうなると、みんな頭のいい子が生まれてくる、あるいはそれができるお金を持った人の子供だけが、いい遺伝子をもって生まれてくるようになる。倫理的にどうなのかという問題はありますが、そういう流れは止められないような気がします。例えば、オリンピックのアスリートの遺伝子を持ちIQが高い子供を、金持ちがこぞって産むといったことが、10年後には常識になってるかもしれない。「え、遺伝子治療しなかったの?」みたいな。

片山 もし「社会的なコストを減らすために、障害児を産まないようにしましょう」という風に、人間の倫理が作り変えられてしまえば、そういう子供たちも生まれなくなって、健常者だけの世界になってしまう。

中島 僕はそういう世界が気持ち悪いって思うんだけど、10年後にはそういう考えも時代遅れになってしまうのかもしれない。

―――そういう中島さんが抱いたような違和感に意識的であることが、シンギュラリティの世の中を迎えるにあたっては、すごく大切であるいうことですね。

片山 私なんかは幸いなことに仕事らしい仕事もせずに、何をやってるのかわからないですから、AIに最も代替されにくい立場なのかもしれませんが(笑)、そういう人間の役割は、どこが変わってるのかをできるだけ正確に、何らか形で書き残すというのが仕事なんじゃないかなって。

例えば会社に入ってしまうと、それに合わせていかないといけないから、ゆっくりと観察したり熟慮する時間はなくなってしまうでしょ。幸い私は暇っていえば暇ですし、そういうシンギュラリティの進化とはあまり利害関係がないから、そういうことを考えることができるんじゃないかな。

―――今後AIが進歩していくと、文学をはじめとしたエンターテインメントの形も大きく変わるのではと思うのですが、それに関してはどうお思いでしょうか?

中島 これはエンターテインメントの定義になるとは思うんですが、なんの価値も持たさないけど、とにかく退屈しのぎができる、その場だけ楽しませてくれる、そういうものはAIでも十分作れちゃうんじゃないですかね。それはそれでビジネスにもなるし、見てる人もそれなりに満足するだろうし。でも「それが幸せなの?」って聞かれると、それはまた別の話になると思いますが。

片山 だから「手っ取り早くこの錠剤を飲めば、幸せになれる」みたいな感じかもしれませんね。AIが「今日はちょっと鬱な気分ですから、これを処方します」みたいな感じで勧めてくれたりして。

中島 Youtubeとかでも、おすすめの動画をたらたらと見ていたら、どんどん時間が過ぎていくじゃないですか。あれって、すでにその状態じゃないですか。あとで後悔はするけど、見てる時の自分は幸せなんじゃないだろうかっていう……。

―――なるほど、知らないうちにAIに支配されているわけですね。

中島 ゲームにしたって、面白いからついついやってしまうけど、あとから時間の無駄だったって後悔してしまうことがありますよね。でも、ついついやってしまうゲームなんだけど、そこに学びがあるようなゲームを作ったら、これは本当にすごいことになるんじゃないですか。親が喜んで子どもにさせて、子どもは夢中で遊んじゃう。「レベルが上がったよ」って言ってるのは、実は頭も良くなっていることであるみたいな。そんなゲームを作ったら、それはすごいでしょうね。だからもし、そういうところにテクノロジーとかAIが使えたら、シンギュラリティ時代のエンターテインメントもいいものになるかもしれない。

ゲームに限らず、例えば「今2時間ほど時間があるから、退屈しのぎをさせてくれよ」「ただ、ただ単にボーっとするんじゃなくて、例えばヨーロッパの歴史を勉強したい」っていうような、漠然としたテーマを与えると、その目的に応じたエンターテインメントをさせてくれる、そういう賢いAIみたいなのができたらいいかもしれない。「同じ時間をつぶすのでも、Youtubeだと何も学べないけど、こっちに来ると一つ賢くなりますよ」というようなね。それってひとつのビジネスチャンスだから、気づけば作る人はいるんですよ、それが今の世の中だから。今後は、そういう意味でのエンターテインメントの進化は起こるでしょうね。ゲーム業界もガチャで儲けようとかじゃなくて、ぜひともそういう視点で作って欲しいですね

―――……そろそろお時間が迫っているようなので、ここからは自動運転や無人化の最新事情をお聞きできればと。なんでも最近、中国では「雄安区」という実験都市を作ったとかで、話題になっていますよね。

中島 そうですね。僕は雄安には行ってないんですが、やっぱり自動運転の普及で難しいところって、従来の法規制とどう折り合うかだったり、自動運転じゃない一般のクルマとどう混ぜるかっていうところなんですよ。

自動運転の世界は最終的に、道路には人間が運転するクルマは走っていなくて、信号機もない。それでいて歩行者はクルマと完全に分断されている……そういう街づくりが必要です。でも、それを例えば普通の街でやるとなると、莫大なコストがかかってしまう。ところが中国は共産主義国家だから、土地をボンと用意して「ここはそういう特区だ」と決めて、何でもできてしまう。そうなると、中国がその分野でどんどん先へ行くのは当たり前ですよね。……東京なんかで、そんなことは無理ですよ。オリンピック開催という絶好のタイミングでも、自動運転特区を作れなかったんですから。

僕は以前から「日本の政治家は“第2東名は自動運転だけ”って宣言してしまえ」って言ってたんです。もちろん、今すぐそうするのは大変だから、5年後とか2020年からっていう風にすればいいと。そうしたら、自動車会社が必死になって自動運転車を作っていたと思うんです。それぐらいのことはできるはずなのに、実際はそれをやっていない。

中国は共産党の国で、それこそ自動運転の実験であったり、人間の認識……人権とかプライバシーを無視したデータの制御みたいなことは、それこそ好き勝手にできるから、もう圧倒的に有利なのは間違いない。そのことに関しては、すごく危機感は感じますし、アメリカや日本はそのことに危機感を持つべきですよね。

―――そういった中国の動きに対して、日本などはどういう風に対抗していけばいいんでしょうか?

中島 いや、それはもう敵わないと思いますよ。5年後に関して言うと、例えば自動運転とか、人間のデータ化に関しては、もう圧倒的な差が付くことは目に見えてる。そこで「じゃぁ、どうするんだ?」って話ですが、アメリカは恐らく中国企業の締め出しにかかると思うんです。特にペイメントに関しては、すでにアリペイとかがアメリカにも入って来てるけど、僕がアメリカ側の政治家だったら、それは止めますね。だって危ないですよ、金融を掴まれちゃったら。実際、ファーウェイの基地局なんかは、すでに締め出しにかかってるでしょ。

でも、それもしょうがないんじゃないですか。技術者の目から見れば、中国が明らかに有利だなって思うので。日本が共産主義国家のような国にはなって欲しいとはもちろん思いませんが、とはいえ「第2東名を自動運転車しか通れない」程度のリーダーシップだったら、誰でも取れると思うんですよ。やっぱり、ある程度の進化圧はかけとかないと、特に自動車産業なんてリスクを取らないですからね。

―――その中国といえば、コンビニなどの無人化も進んでいるようですが、一方の日本では、24時間営業の維持が揺るぎ始めている事態も起きています。

中島 うちの近所にも、夫婦で経営しているコンビニがあるんですけど、店に行くとその夫婦のどちらかが必ずいるんですよ。信じがたいと思いません? 一緒に休む時間もないという……。

コンビニの本部は儲かってるのかもしれないけれど、各店舗のオーナーの人たちは疲弊しきっている。でも、そこに無人化コンビニのニーズがあるわけだし、それに反対する人もいないと。あとは技術とコストの問題になると思いますが、コストに関しては絶対にペイしますよ。だって今は、アルバイトを雇ってるほうが高くつきから。だからコンビニも、無人化を進めるという意味では、逆に今が絶好のチャンスだと思いますけどね。

―――それでは最後の質問ですが、今後のシンギュラリティ時代を迎えるにあたって、備えとして読んでおきたい文学作品、あるいはその他の映画・音楽など、お二人のおすすめ作品を教えてください。

片山 近年読んだ本の中で一番面白かったものは、やっぱりユヴァル・ノア・ハラリの本ですね。『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』の2作品は、非常に面白かったです。彼は今、一番冴えているといいますか、最も広く遠く世界を見通している人物じゃないでしょうか。

『ホモ・デウス』は、人間が自らを神としてアップグレードするっていう趣旨の話です。人間は貧困・飢餓・戦争っていうのを、ある程度は無くすことができたと。そうすると人間が次に何を目指すのかというと、人間自体のアップデートを目指すだろうと。さっき中島さんが言われた通り、自分の能力を作り直したり、身体的・知的能力を作り直すとか、歯のホワイトニングに始まって、そこまでいくんじゃないかっていう、そういう論旨なんですけどね。非常に刺激的でした。

中島 僕もSFだと『ブレードランナー』に始まり『マイノリティリポート』とかも好きですよ。特に『マイノリティリポート』なんかは、もうビジネスのネタが満載なんですよ。

例えば、店に入った途端に、その人のアイデンティティを認識して広告を始める、といった描写とかね。ずいぶん前の映画なんですけど、今やっとそれが可能になりつつあり、10年後には、あの世界は実現するんじゃないですか。もちろんプライバシーの問題とかはあるでしょうけど、そこは中国が他国に先んじて……という流れになるんでしょうね、やっぱり。

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マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。IT業界から日本の原発問題まで、感情論を排した冷静な筆致で綴られるメルマガは必読。

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