ところが、アツヒト村の人々の答えは私の想像を絶した。カンボジアの悲劇は人材がなかったことが原因で、これからは何よりも教育が重要だ、ついてはこの400万円を学校建設に充てたい、というのである。
こうして学校ができた。
名前はナカタアツヒト小学校。いまでは中学校、幼稚園も併設され、近隣九か村から六百人余の子どもたちが通学してきている。
やがては時の流れが物事を風化させ、厚仁が忘れられる時もくるだろう。だが、忘れられようとなんだろうと、厚仁の信じたもの、追い求めたものは残り続けるのだ。
これは厚仁がその短い生涯をかけて教えてくれたものである。
厚仁の死から15年が過ぎた。
ひと区切りついた思いが私にはある。楽隠居を決め込むつもりはない。国連は改めて私を国連ボランティア終身名誉大使に任じた。
この称号にふさわしいボランティア活動を、これからも貫く決意だ。
15年前、あれが最後の別れになったのだが、一時休暇で帰国しカンボジアに戻る厚仁に、私はこう言ったのだ。
「父さんもベストを尽くす。厚仁もベストを尽くせ」
ベストを尽くす。
これは息子と私の約束なのだ。
厚仁の短い生涯が、人間は崇高で信じるに足り、人生はベストを尽くすに足ることを教えてくれるのである。
中田武仁(国連ボランティア終身名誉大使)
初出:『致知』2008年9月号 特集「致知随想」
※ 肩書きは『致知』掲載当時のものです
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