今ではたくさんのサプリメントが出回るなど重要な栄養素として認知されているビタミンですが、実は世界で初めて発見したのは日本人だったという事実、ご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『1日1粒!『幸せのタネ』』では著者の須田將昭さんが、鈴木梅太郎博士のビタミンを見つけるに至ったきっかけや、残念ながら世界的には評価されなかった原因について紹介しています。
オリザニンの発見
ビタミンというのものを世界で最初に発見したのは実は日本人なのです。
ビタミン不足で病気になるということは、前にも書いてきました。「この病気の原因は何か?」ということについて、古来多くの人が研究に取り組んできました。
長い航海や軍の遠征などで、限られた食料しかない状態だと兵士や乗組員が特定の病気になることはよくあることです。そうなると「食事の中に原因がある」ということが考えられ、その解決にたとえば「野菜を摂ることだ」や「レモンジュースを配布する」などがありました。
日本では脚気の研究がきっかけでした。鈴木梅太郎博士は、玄米を食べているにわとりは脚気にならないのに、白米を食べているにわとりは不調になるのに気づきました。
そこから、玄米と白米の違い、つまり「糠」に注目してそこから実験を重ね、ついに1910年に「オリザニン」と名付けた物質の抽出に成功しました。これが不足することが脚気の原因だ、つまりこれを摂れば脚気にならないという物質です。
ところが悲しいことに日本ではこの発見はあまり注目されませんでした。脚気が伝染病だと思われていたため黙殺されたのです。ドイツ語には翻訳されましたが、「これは新発見の栄養素である」ということが削除されてしまったため、「世界初」と考えられませんでした。
翌年、カジミール・フンクが同様に米ぬかのなかから新しい成分の抽出に成功します。その成分の中に「アミン」の性質に似たものがあることから、「生命のアミン」つまり「vita」と「amine」を複合して「vitamine(ビタミン)」と名付けました。
世界的にこの発見が注目されたため、ビタミンの発見者はカジミール・フンク、ということになっています。
しかし、鈴木梅太郎博士は間違いなく世界で最初にビタミンを発見した方です。その栄誉は、フンクに譲ることになりましたが、その功績は記憶しておきたいところです。
子供の頃に読んだ本の中で鈴木梅太郎博士の話が出てきたのですが、強く心に残っているエピソードです。
英語で発表できなかった、あるいは、日本の学会の閉鎖性が、世界に発信することを妨げてしまったことが、「世界初」の栄誉を得ることができなかった原因となってしまったというのがなんとも悔しい、歯がゆい思いになりました。
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