死人に口なしか。故人の元助役に責任なすりつけ逃げる関電の卑劣

 

関西電力の役員らが、高浜原発立地自治体の助役だった人物から多額の金品を受け取っていた事実が発覚し、批判が渦を巻いています。関電サイドは故人である元助役男性の「異常性」を強調し、「受け取りを無理強いされていたが返した」と逃げ切る姿勢を見せていますが、果たして真相はどこにあるのでしょうか。元全国紙社会部記者の新 恭さんは自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』で、明らかになっている当問題の全容を整理するとともに、件の助役男性のような「モンスター」を生んだ存在についても考察しています。

亡くなった高浜町元助役ひとりに罪をなすりつける関西電力経営陣の卑劣

関西電力ともあろう企業の、会長、社長を含む20人の役員らが、町役場の助役だった人物から7年間にわたり合わせて3億2,000万円分の金品をもらっていたそうである。

現金、米ドル、金貨、金杯、小判、仕立券付きスーツ生地…。よくぞこれだけバリエーションを考えられるものだし、受け取る方も受け取る方だ。一人で1億円以上も懐に入れたツワモノもいるらしい。

関電のドンともいうべき八木誠会長や岩根茂樹社長が出席した10月2日の記者会見では、「預かって、個人で保管していただけですでに返した。不適切だが違法ではない」と全員が口裏を合わせるかまえを示し、なんと、高額な金品をもらっていた理由についても「恫喝が怖くて返せなかった」と豪華ギフトの贈り主のせいにしてしまった。

今年3月、90歳で亡くなった森山栄治氏がすべての罪をなすりつけられた気の毒な方である。1975年に高浜原発が立地する福井県高浜町の収入役となり、77年から約10年間、助役を務めた。押し出しの強さも手伝って、昔から町の有力者として知られていたらしい。

過疎化が進むなか、高浜町が地域活性化の手段として選択したのが原発誘致だった。その推進役として森山氏は獅子奮迅の活躍をしたようだ。

八木会長は言う。「高浜3、4号機の建設のさいに協力いただいた。地域全体のとりまとめに影響力があり、機嫌を損ねたくなかった」。

金品を受け取っていた側には会見した岩根社長と八木会長も含まれている。岩根社長の場合は、森山氏と会ったさい、受け取ったお菓子の袋の下に金貨が入っていたという。

今回公表された報告書の調査期間は2011年~18年の7年間に限られているが、八木会長はそれより前の06年から10年までの4年間にわたって何度か金品を受け取っていた。つまり、かなり前から金品の授受がおこなわれていたということだ。

豊松秀己元副社長も朝日新聞の取材に対し「(原子力事業本部内で)歴代大事にしてきた方だが、お会いする度に(金品を)持ってこられた」と語った。豊松氏ら2人はなんと1億円をこえる金品をもらっている。

このとんでもない事実が明るみに出たわけは、昨年1月、地元の建設会社「吉田開発」に金沢国税局の税務調査が入り、同社と縁が深く顧問をつとめたこともある森山氏への不透明なカネの流れが発覚したからだ。このため八木会長、岩根社長ともに、あわてて同年2月に金品を返した。

なんらかの手を打つ必要に迫られた関電は、不祥事が起きた時にどこの大企業もやるように、「社外の弁護士らを含む調査委員会」とやらを立ち上げて、実態把握に乗り出した。その結果出てきたのが、20人が合わせて3億2,000万円分も受け取っていた事実である。

とはいえ、調査するまでもなく上層部ではあるていど周知の袖の下」だったはずなのだ。事実、会見のなかで岩根社長は「森山さんのことは連綿として引き継がれてきた」と語っている。

大枚を懐にしのばせたのは原子力本部長をつとめた役員がほとんどのようである。面談、会食のさいに受け取ったこともあれば、郵送で送られてきたことも。

電力会社の接待好きは記者なら知らぬ者はない。森山氏を宴席に招いたことも多かったのではないか。長きにわたって続いてきた隠し事だから、まだまだ闇は深い

会見で岩根社長は「返そうと思いそれぞれ個人で管理していた。無理に返したら人間関係が悪くなることを恐れた」と言って、自らのケースも含めて言い訳をくりかえした。

「個人で管理」とは、自宅や銀行の貸金庫で保管したことというが、要するにフトコロに入れたのと同じだろう。それに、本気で返そうと思えば、相手に失礼にならない言い方で返せるはずだ。

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