新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛要請や休校が長引くに連れ、家庭内での児童虐待が深刻化しています。子供たちの未来を奪うと言っても過言ではない虐待に、私たちはどう向き合い、どう防ぐべきなのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で現役小学校教諭の松尾英明さんが、その対処法について考察しています。
児童虐待を防ぐのが第一
今社会問題となっているのが、家庭内ストレスである。外に出られないことによるストレスもあるが、家族がずっと家にいるのも、これはこれで厳しい現状がある。
家族全員が、自分にやることがあって、それに集中しているならそんなに問題は起きない。独立した空間があったり、互いに心地よい距離感でいられるのならそんなに問題は起きない。
そうでないから、困っているのだと思う。一人一部屋あるとは限らないし、家族間がいい人間関係とも限らない。
家族の中には、やるべきことが見つからない、やる気がしないという人もいるだろう。家でごろごろしているだけの家族を見て、いつも家事をしている母親的立場の人が、叱咤したくなるのも頷ける話である。言われた方も自分が家にいたい訳でもなく、仕方がないからこうしてるだけで、尚更腹が立つという、悪循環である。
ストレスフルな空間に集団がいる時、最もその実害を受けるのは、力と立場の弱い者である。これは教室でも職場でも家庭でも同じである。
教育の分野からすると、現状一番気になるのは、全国の家庭内の虐待問題である。
家庭だと、子どもがストレスのはけ口になりやすい。ガミガミ言いたくなるのも、実はそれを言っている側にストレスが溜まっているからという場合が多い。子どもが悪いと思い込んで正当化しているが、実は無意識に自分のストレスを相手の問題として投影しているということがある。
これは、精神科の医師や、カウンセラーの人にとっては、常識であり、よくよく知っていることである。
子どもについての悩みで精神科へ受診に来る親子に対し、ある医師は子どもを「見なし患者」と呼ぶという。なぜ「見なし」なのかというと、本当に治療すべきは、子どもではなくその親ということがとても多いためである。つまり、確かに子どもは精神的に病んではいるが、その原因は親にあり、親の方こそが精神的な疾患をもっているということが多いからである(参考文献:『平気でうそをつく人たち』M・スコット・ペック著 森英明 訳 草思社)。
余談だが、この本には興味深い話がたくさん書かれている。このような病理をもった人間は、自分の非を決して認めず、それを全て他人の責任にすり替える。その対象は、日常生活では子どもであり、学校では教師であり、病院ではそれを直せない医師である。その技術は「賞賛に値する」ほど鮮やかだという。また、あらゆる外面を装うことに異常なまでの執着があるため、社会でも非常な成功を収めていることが少なくないという。最近よくきく「サイコパス」というのも、この類である。
さて、この本にもあるが、全ての親が子どもを心から愛している、大事にしているかというと、そんなことはない。この本では「邪悪」と強い表現をしているが、そういう親も少なからずいるのが事実である。児童虐待の惨状を見れば明らかである。
学校の教員は、子どもの保護者である親を悪く言うことはあり得ない。親は子どもを大事にしていると信じる、というのが前提である。
しかし、実際は、この前提を疑った方がいいことがある。きっとそうなんだろうけれども、そうじゃないかもしれないという、冷静な頭を常にもつことである。なぜならば、私も含め、親という立場は、結果的になっただけであり、子育てのプロフェッショナルという訳ではないからである。学校の教員は、子どもの健やかな成長を第一義として存在するため、そういう視点も確実に必要である。
さて、長々書いた理由は、子どもの安否確認や、こまめに連絡をとることの重要性を言いたかったためである。ずっと連絡をとれていないで、その子どもは本当に大丈夫か。これは、前年度からの引継ぎ情報が特に大切になる。
家庭訪問があまり推奨されない現状である。顔を見るのが一番なのだが、実際はなかなか難しいと思う。
虐待どうこうが全く考えられないような家庭にもコンタクトすべきである。子どもとつながるのが教員、特に学級担任のいの一番の優先的な仕事だからである。更に、担任とつながっているか否かで、学習への取り組み状況も全く異なるのだから、確実に何かしらで連絡をとる必要がある。
せめて本人に電話をするとか、何かしらのコンタクトの手段をもって、学校全体で子どもの安全を第一に考えていきたい。
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