切られた尻尾。安倍首相の愛憎と企みに翻弄された河井夫妻の末路

 

この年の2月28日、安倍氏について冷たい見方を公言する自民党幹部がいた。

自民党の溝手顕正参院幹事長は28日の記者会見で、消費税増税関連法案への賛成と引き換えに衆院選を迫る「話し合い解散」に言及した安倍晋三元首相に関し「もう過去の人だ。主導権を取ろうと発言したのだろうが、執行部の中にそういう話はない」と不快感を表明した。

(「『安倍元首相は過去の人』 自民参院幹事長が不快感」2012年2月28日 日経新聞)

第一次安倍政権時、ぶざまな形で総理の座を投げ出した安倍晋三氏の復活はないとみて、当時の参院トップ、溝手氏は冷徹に言い放ったが、この記事を読んだ安倍氏には、「過去の人」という言葉が鋭く胸に突き刺さっていたただろう。

溝手氏には安倍批判の前歴があった。2007年夏の参院選。小沢民主党に惨敗した安倍首相について、こう語った。「首相本人の責任はある。(続投を)本人が言うのは勝手だが、決まっていない」。

友達を異常なほどに厚遇するかと思えば、敵対者とみなした者にはしつこく攻撃的にふるまうのが安倍首相の特徴だ。

そういえば、つい最近のテレビ番組で、元財務省官僚のコメンテーター、山口真由氏は、第一次安倍内閣で閣僚が相次いで辞任したさい、財務省のリークを疑った官邸が散々いやがらせをしてきたという趣旨の話をしていた。これでは、官僚たちが、人事で報復されないよう忖度したくなるはずだ。

河井氏は総裁選をきっかけに、安倍首相との距離を急速に縮めた。存在感を増した「きさらぎ会」は安倍応援団として、メンバーの数を増やしていった。その流れに沿うように、河井氏は首相補佐官、党総裁外交特別補佐に取り立てられ、2019年9月11日には法務大臣に任命された。

しかし、この栄達の歩みには、落とし穴が待ち受けていた。溝手氏の改選期にあたる昨年夏の参院選をひかえた同年1月、安倍首相はじっと広島選挙区をにらんだ。2013年7月の前回は、溝手氏が52万1,794票、民主党(当時)の森本真治氏が19万4,358票を得て当選した。溝手氏の集票力は驚くほどである。

いくらなんでも取りすぎだ。想像するに、安倍首相の脳裏には、何度も自分を嘲笑するかのごとき発言をしてきた溝手氏の顔と、安倍色に染めあげた自民党の力がその得票数を与えているという自負が交錯し、苛立つ感情を抑えきれなくなったのではないだろうか。

安倍首相は、河井氏の後見役でもある菅義偉官房長官と相談し、広島選挙区に河井案里氏を擁立することにした。溝手氏の票を2で割っても、26万票とれる。広島に二人立てるべきだ、と。

出馬要請を受けた河井夫妻は、意気に感じるとともに、戸惑いをおぼえたであろう。溝手氏の厚い地盤に割り込んで勝ち目はあるのか。克行氏の衆院選挙区は広島3区(広島市安佐南区・安佐北区、安芸高田市、山県郡)で、地元活動の中心はその区域だ。全県下で得票を積み上げなければならない参院選で勝つ自信などあるはずもない。

逡巡する河井氏を説き伏せるために、安倍首相は山口の地元事務所から秘書団を派遣するなど、最大限の支援を約束したに違いない。「絶対に勝たせてみせる」と時の総理にかりに言われたとしたら、その言葉にすがる気持ちになるであろう。

河井夫妻は受け入れた。あとは、溝手氏の所属する派閥「宏池会」の領袖で広島1区を選挙区とする岸田文雄政調会長を説得するだけだ。その役目は甘利明選対委員長にゆだねられた。すでに党は6選をめざす溝手氏を公認済みだ。

2月19日、甘利氏は国会内で岸田氏と会談し、二人目の公認に理解を求めた。当然のことながら岸田氏は抵抗しただろう。それでも、甘利氏は時間をかけて岸田氏に決断を迫った。3月2日、ついに岸田氏は折れ、同月13日には河井案里氏の公認が決まった。安倍首相からの「禅譲」を期待して基本政策の継承を打ち出している岸田氏には、抵抗しきれない弱みがある。

この決定に広島県連が反発するのを見越したうえで、安倍首相は手を打った。かねてから岸田氏に冷たい二階幹事長を味方につけ、自民党本部から計1億5,000万円を、河井夫妻それぞれが支部長をつとめる政党支部に分けて振り込んだのも、そのためだろう。案里氏の出馬に危機感を抱く県連が逆に溝手支持で結束を強めないよう、カネという麻薬を使う必要があった。

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