まるで半沢直樹のよう。パナソニックのお荷物部署を救った立役者たち

 

高橋荒太郎さんの手腕

1.朝日乾電池在職中に乾電池のコストを3割下げを達成

これは1929年の世界大恐慌の時のことで、まだ24歳でありながら危機を先取りし、幹部を説得して改革を断行しました。そんな驚異的な改革がどのようにしてできたのか。それは“改革にあたって全従業員が背水の陣を敷いた”ことにつきます。

世間では解雇、賃下げが行われていたなかで、高橋さんはこのように全従業員に「この会社を改革しようと思うが、絶対に犠牲者は出さないし、賃下げもしない。ぜひ協力してほしい。また再建できなくなったら申し訳ないので、協力してくれる人にも“退職金”を事前に差し上げる。ついてきてくれることに不安を感じる人には、倍の退職金を差し上げるから申し出ていただきたい」と提案したのです。年輩の2人が辞めただけで、後の二百数十人はついてきたのです。

それから、どんなことを起こしたのか。それから起こったのは、自発的な運命共同体としての“人一倍活動”で、消耗品など言われなくても節約され、そして抜本的な改革もなされて、その結果、わずか半年で再建は軌道に乗り、その暮にはあげられないと言っていた賞与も支給して越年できたのだそうです。

2.佐賀工場の建設を若手社員に任せ低予算で実現

松下幸之助さんに九州松下の経営を全く白紙の状況で任された高橋荒太郎さんは、このときに「人づくり」から始めました。34歳と29歳の若い社員選び、こんな要望をしたのです。

「君たちには、経営者になってもらうために、一番むずかしい工場の建設からやってもらう。工場建設そのものがコストだと考えて取り組んでもらいたい。未経験の困難な仕事であろうが、全面的に任せるから英知を働かせ全精力を傾けてやってほしい。そのかわり本社等の規制を受けないようにする。失敗したらぼくが全責任を負うから思い通りに」と言いながらも、さらにこんな条件を付け足したのです。

「最も合理化した工場にすることを前提に、耐震耐火の堅牢な建物で、しかも、外観内装とも従業員が快適に作業ができるような明るいものであるということ。それだけが条件だ」と言うのです。

これで条件は終わりかというと、さらに厳しくなるのです。担当者が「坪6万円かかる」と言ってくると、これに対して「坪6万円は相場からいって高くないかもしれない。しかしこの競争の激しい製品のコストからいって成り立たない。建設のことは詳しいことはわからないので無茶を言うかもしれないが、坪3万円で短縮して3か月でやってもらう。ぜひ実現してもらいたい」と。

その後いろいろ検討した結果「サッシを鉄からアルミにしたほうが美しいし、メンテナンス代が格安でなので2,000円だけ上積みしてほしい」と要求があり、それを認めて着工することなったのです。結果は、3か月以内に実現され、高橋さんは「それに至るまでの二人の苦労は並み大抵のものではなかった。」と述懐しています。

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