トランプとは何だったのか。解き放たれた差別主義と米国第一主義

 

根本は「米国No.1」からの転落不安

では、なぜ米国社会は、トランプ大統領を生むまでに妄想的になってしまったのか。

これはフランセスでなく私の説だが、第1の、決定的な要因は、20世紀後半の米国の「覇権」はすでに終わっているのに、終わったということを認めたくないという後ろ髪を引かれるような精神的動揺、従ってそれが終わった後にどこに着地すればいいのかということを理性的に考えようともしない知的怠惰、そしてその結果として生じる「米国はこんなはずではなかったじゃないか」という原因不明と映るが故に激しく情動化する心理的混乱、等々が入り混じった、国の行末についての根源的な不安である。

これは、本誌がさんざん述べて来たことなので詳しくは繰り返さないが、冷戦の終わりは、

  1. 国家と国家が重武装してイザとなれば武力で決着だといがみ合い脅し合うのが当たり前だった欧州起源の数世紀に及ぶ国民国家の時代
  2. 従ってまたその国民国家が同盟を形作って共通の敵との決戦を辞さずと身構える風だった軍事同盟の時代
  3. 従ってまたその究極の形としての米ソが東西の盟主として核を構えて睨み合う第二次大戦後75年間の核危機時代

――という3重の入れ子状態が原理的に全部終わらなければならないことを意味していた。ということは、国家主義も、軍事同盟主義も、核大国による覇権主義も、全部が負けたのである。ところが冷戦終結を推進した一方の旗頭だったブッシュ父大統領は、あろうことか「第三次世界大戦としての冷戦に勝ったのは米国だ」として“唯一超大国”を宣言した。この致命的な世界認識の誤りをブッシュ子が「単独行動主義」として受け継いで2つのやらなくてもいい戦争を始めたために、米国は着地点の見えない漂流状態に突入したのである。これをトランプが「米国第一」とか上ずったスローガンで救おうとしても無理で、問題の核心は「No.1でない米国は世界の中でどう振る舞うべきなのか」を胸に手を当てて省みることなのである。

答えははっきりしていて、中国を今すでに世界No.2、いずれ米国を超えてNo.1になる経済大国であることを認めて、それとどう協調するシステムを作り上げていくかを共に考えるしか選択肢はありえない。だってそうだろう、中国を排除すれば米国が蘇るなんて、妄想以外の何ものでもない。とはいえ、この点でバイデンが大きく路線転換して米国を落ち着かせることができるかどうかは、選挙戦を通じては何ら明らかになっていない。図参照 

高野孟さんのメルマガご登録、詳細はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • トランプとは何だったのか。解き放たれた差別主義と米国第一主義
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け