でも、蝉の抜け殻を見てついつい生命や人生、自然の素晴らしさを連想する感覚は全世界に共通しているわけではないのかも。
人種や民族、文化や価値観の違いがあっても全世界で共通しているものってけっこうあります。でも、蝉の抜け殻から人生を考える感覚は日本人くらいでしょうか?
あ、そういえば、蝉の抜け殻は漢方に使われるそうなので、東洋医学ではもしかしたら何かしらの表現があるかもしれませんね。西洋ではどうでしょうか?西洋文学に詳しい方のお話を聞きたいところです。
少なくともニューヨークでは特に興味を示す対象ではないようですし、何ならただの茶色いよくわからないもので、茶色いゴキブリ?とか思われてるかもしれません(笑)。
ちなみに蝉の抜け殻は”Cicada shell”というのですが、検索すると任天堂のゲーム「あつまれどうぶつの森」でのつかまえ方の説明ページがいくつか出てきました。
ゲームしている人たちはなぜに蝉の抜け殻を集める必要があるのだろう?とか思ったりしてるかもしれませんね。しかもなかなか出てこないレア虫なのに売ってもけっこう安いのです。
そんなことを考えると日本人には当たり前の感覚でも海外ではまったく違う、その逆も然りということはまだまだたくさんあるのかもしれないなと思いました。
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