終焉を迎える菅政権で副総理兼財務大臣を務める麻生太郎氏が、新型コロナによる緊急事態宣言の解除が検討されていることを問われ、「制限をいつまでされるおつもり」と、政府分科会の専門家を批判しました。この発言に対し「政治家として卑怯過ぎる」とその人間性を問うのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、状況が悪化している時は「専門家の先生方」を盾に責任回避し、寛解すると戦闘も終わっていないのに盾を邪魔もの扱いするのは「愚者の見本」と厳しく指摘。尾身氏にも専門家のプライドを示し、後進に勇気を与えてほしいと注文をつけています。
発言のこと
「外で飯を食うな、人に会うな等々、制限をいつまでされるおつもりなのか」麻生太郎氏の発言である。敢えて肩書きの方を強調して言うと、菅内閣における副総理兼財務大臣の発言である(あと2つおまけのようなポストがあるが割愛する)。
思い出してもらいたい。総理がコロナ関連の会見を行う際には常に政府分科会のトップ尾身氏が壇上に並んで立っていたことを。つまり、この時の尾身氏の発言は菅内閣総理大臣のそれと同等の重要性を持つものであったと言えるのである。その「専門家の先生方」を上記の如く批判することは紛れもなく総理を批判することである。少なくとも論理的にはそうなる。この時点で既にして閣内不一致ではないか。
いくらレームダック状態とは言え、その内閣の中核をなす立場の人(しつこく肩書きで言うと、内閣法第九条の第一順位指定大臣)が言うべきことではない。天に唾してしたり顔とは、さすがに傲慢であり、また滑稽でもある。
そもそもこの人は昔から何を言っても後から謝りさえすれば許されると思っている節があった。残念ながらそのような人間的な魅力は当人が思い込んでいる程にはない。故に何か発言するたびに聞く方としては傍ら痛くなるばかりといった次第である。正直、救いようがないレベルだ。
大体政治家として卑怯過ぎるであろう。状況が悪化している時は「専門家の先生方」を盾にして、寛解すると今度は邪魔もの扱いである。確かに盾という物は戦闘時以外においては邪魔でしかたなかろう。が、未だ勝敗の決せぬうちから「ええい、くそじゃまな!」と放り投げるのはそれこそ愚者の見本のような行為である。これでよく10年ちょっと前まで総理が務まったものだと嘆息するばかりである。
一方、尾身氏も尾身氏である。いくら御用学者と言っても(あるいは言われても)科学者としてのプライドというものがあろう。それにこう言っては何だが、貰う物はもう十分貰っているだろう。ここらで「医学関連の学位をお持ちでない政治家の先生方にはくれぐれも軽々な発言は慎んでいただきたい」くらいのことは言ってもらいたいものである。これで用無し学者にされたとしてもそれはそれでヒーローではないか。少なくとも後任の人に勇気を与えることだけは間違いない。
相手は感染症である。「専門家の先生方」を抜きにして到底戦えるものではない。その専門家は昨年の感染拡大以降、ずっとPCR検査態勢の拡充を政府に対し提言し続けている。それをガン無視しておきながら客観的なデータなど出せる筈もなかろう。よくも他人事のように「その根拠は何なのか」などと言えたものである。その挙句「よく分からないね、俺は」である。自分だけではなく国民の誰もが思ったのではないか。「じゃあ最初から言うなよ!」と。
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