ホンマでっか池田教授が解説。ソ連崩壊からのウクライナ紛争前史

 

プーチンは恐らく、国力とは軍事力と国土の大きさだ、との19世紀的幻想に囚われており、ウクライナを占拠するか、傀儡政権を打ち立てて、ロシアの影響力を拡げるのが、かつての超大国に戻る道だと考えているのだろう。

IT時代の国力にとって軍事力は一部でしかなく、国民の知力と経済力こそが国力の源泉だということを余り理解していないのかもしれない。この観点からはウクライナを武力で制圧しても、ウクライナ人民の恨みと国際的孤立を招き、得るものより失うものの方が大きいことは自明だと思う。もしかしたら、欧米へのコンプレックスで、思考が硬直し、損得勘定が上手く出来なくなっているのかしら。独裁者が呆けて、側近はイエスマンばかりという状態なのかもね。もしそうだとすれば、これは最悪だ。

今回のロシアのウクライナ侵攻には前史がある。もともとウクライナ周辺は多民族が入り乱れて住んでおり、民族間の紛争が絶えなかった。旧ソ連時代の共和国間の国境と、居住民族が整合的でなかったのだ。国境が民族的・文化的まとまりを無視して引かれたのが紛争の遠因だ。

例えば、1991年、旧ソ連から独立したジョージア(旧グルジア;ウクライナ東部の黒海に面した国)は、グルジア人(ジョージア人)、オセチア人、アブハズ人、ロシア人などが住む多民族国家であるが、独立直後の1992年に早くも西端のアブハジアで、分離独立運動が起こり、これにロシアが介入して独立運動を支援した。結局、グルジア人の大半はこの地域から追い出され、現在の住民はほぼアブハズ人で事実上の独立国になっており、ロシアはこの国を承認している。

第一次南オセチア紛争も1991年~1992年にかけて、オセチア人が多く住むジョージア東端の南オセチアをロシアに帰属させるべきか否かをめぐって起こった紛争で、独立を認めないジョージアと独立派の間で、激しい戦いが行われたが、停戦協定が成立して、この地は事実上の独立国になった。

ところが、2008年にジョージア軍が南オセチアを攻撃し(第二次南オセチア紛争)、南オセチアの独立を支援するロシア軍との間で、戦闘状態になった。この紛争は結局ロシア軍の勝利に帰し、ロシアは南オセチアを承認したが、国際的には南オセチアと前記アブハジアはジョージアの一部ということになっている。ともにオセチア人が多数を占める北オセチアはロシアに、南オセチアはジョージアに属するのが、紛争の遠因である。

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