習近平指導部に向けられた「抑圧されている」ことへの不満
香港を例に見てみよう。香港では、11月28日、香港中文大学の図書館前で、中国からの留学生を中心に抗議行動がスタートしている。ここは、3年前、習近平指導部の威を借る香港の警察当局に包囲され、2000発を越える催涙弾が撃ち込まれた場所だ。
当時、香港人の学生たちが民主化を求めて立てこもる中、中国人留学生はその行動を批判したばかりか、警察の護衛付きで包囲網から脱出し、香港人学生らの怒りを買った。ところが今回は、中国人留学生が口火を切って抗議行動を始めたのだ。
上海や重慶などの若者と同じく、「白い紙を掲げるだけなら検閲の対象にはなるまい」という考え方から、同じように白い紙を掲げての「白紙運動」が始まったのである。
「香港から隣の広州に入った途端、隔離を余儀なくされる。不便だし文句も言えない」
香港中文大学の教員、小出雅生氏は、「中国の若者たちも、政策の行き過ぎや、自分たちの言動が抑圧されていることを、ようやく自分のこととしてとらえるようになった」と語る。
筆者は、東京で中国人の若者の本音を聞くことができた。11月30日、東京・新宿駅南口で行われた抗議行動を取材したときのことだ。
「私たちはあまりに香港の人たちや新疆ウイグル自治区の人たちに冷たかった。香港でのデモを見て、アメリカなどに煽られているのだと思っていました。でも違いました。私たちも香港やウイグルの人たちと同じように抑圧されていたのです」(中国人女性留学生)
「日本に来て違いを感じたのは、SNSが何の不自由もなく使えるということでした。僕たちが中国で何も知らされないまま、発信もできないまま生きてきたのとは全然違います。ここにいる間だけでも言いたいことを自由に言いたいです」(中国人男性留学生)
一時的には終息へと向かうが…
今回の抗議行動で最も驚いたのは習近平自身であろう。
11月15日~16日、インドネシア・バリ島でのG20首脳会合、そして11月18日~19日、タイ・バンコクでのAPEC首脳会議を無事乗り切り、上機嫌で帰国したところに抗議行動の波紋である。
最初は締め付けを図った。警官隊の動員で抗議行動を徹底的に封じ込め、市民のスマートフォンを逐一確認するなどして抗議行動の芽を摘もうとした。
その後、「ゼロコロナ」政策の成否に言及することなく、規制の緩和にも舵を切った。
上海をはじめとする都市部では、48時間以内のPCR検査の陰性証明がないと、オフィスはおろか、スーパーやコンビニにも入れず、バスや地下鉄にも乗れないといった面倒な状況が続いてきたが、これがうそのように撤廃された。
これに、江沢民死去に伴う政治利用が加わる。中国全土に「喪に服すこと」を呼びかけた習近平指導部は、追悼集会の翌日(12月7日)、全土で新型コロナウイルス対策の規制を大幅に緩和すると発表した。
つまり、習近平は、江沢民の死によって抗議行動鎮静化を練る時間的な余裕ができたばかりか、抗議行動を抑える口実も手にしたことになる。
中国には、古来から、「小事は智によって成し、大事は徳によって成すが、最大事は運によって成す」という言い伝えがある。これに当てはめれば、習近平はまさに「運」で救われたことになる。
筆者の大学院時代の同期で北京在住の清華大学OBは次のように語る。
「清華大学は習近平総書記の母校です。そこでもデモがあり、すぐに鎮静化させるため、学生たちは実家に移動させられました。通話履歴を追跡されたり、スマホのアプリを削除させられたりした学生もいたそうです。今回は、追悼期間などもあって封じ込めに成功しそうですが、抑圧されてきたことへの不満は、いつか爆発しそうな気がします」