この瞬間にも失われていく多くの命。私たちがリアルを知らぬまま通り過ぎる「歴史の中で記憶に刻むべきこと」

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ウクライナやガザ地区を始めとする世界の紛争地で、今この瞬間も続く激しい軍事攻撃。とは言え、私たちが知ることができるのはあくまでわずかな部分のみというのが現実でもあります。「このような時だからこそ大人として学び知るべきことを考えたい」と書くのは、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」学長の引地達也さん。引地さんはメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で今回、日常のニュースでは戦争のリアルは伝えられないとした上で、現代社会を生きる私たちが負っている責務を考察しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:ジャーナリズムの気概がなす多様な表現で戦争を感じる

ジャーナリズムの気概がなす多様な表現で戦争を感じる

大学での講義「ジャーナリズム論」で教えるポイントに、ジャーナリストやメディアが存在の根幹としてきた真実性がある。

メディアは常にこの真実性を保証しようとするが、同時にその真実が公になれることで都合が悪くなる側からは、その真実性は否定される。

2つの陣営による真実性の争いは戦時の風景でもある。

そのやりとりの中、被害を受ける市民の状況は改善されない構図は、メディアが伝える戦争の真実性が問題化となった1990年の湾岸戦争から顕在化した。

そして現在もガザ地区やウクライナで同じことが繰り返されている。

そんな時だからこそ私たちが学び知るべきことを積極的に深く考えたいと思う。

戦争が日常生活に忍び寄り、そして心を破滅させてしまうことをセーブ・ザ・チルドレンは創作映像で表現した。そのショートムービーの最後に示されるメッセージにはこうある。

「ここで起こっていないということは、起こっていないことにはならない」。

現在、ロシアと交戦するウクライナが火力で劣る戦況を積極的な発信で情報戦でやり抜こうとしている。

その一環か、NHKスペシャルで今年2月に放送された『戦場のジーニャ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~』は前線の兵士自らが撮影した戦闘を伝えた。

テレビカメラマンだった35歳のジーニャの戦争。第一次世界大戦の象徴でもある塹壕は深さ2メートル、幅1メートルほどで、兵士数人が籠城する。

至近距離にはロシア兵が銃を構え、銃撃戦になることもある。

普通に働いていた男が生と死の境にいる現実、塹壕を掘り、その中で過ごす現実、銃声。

すべてが、今起こっていることとして、映像は容赦ない。

ジーニャは「これは殺人ではないゲームだ」と自分を落ち着かせた。

戦争のリアルに私たちの向き合い方が問われているような番組だ。

この情報を海外に出すことで、支援の力にしたいウクライナの思惑も当然、あるだろう。

そして、相手も市民だった人かもしれない戦争。これが戦争における情報の真実性の難しさである。

前線の様子はこのようなドキュメンタリーで伝えられるが、日常のニュースではミクロな視点、戦争のリアルは伝えられない。

記者がそこにいないし、リアルな映像の多くはオンエアを前にふるい落とされる。

イスラエルによるガザ攻撃により破壊された住宅が密集する都市の建物は、破壊後の惨状から、その攻撃のすさまじさや逃げ隠れる住民の恐怖を想像するしかない。

多くの攻撃があり、命を奪われている中で、確実に私たちが歴史の中で記憶に刻むべき事柄なのに、そのリアルを知らないままに通り過ぎていっているのだ。

もはや真実が蓄積されて放っておかれるのが日常となった今、その真実を伝えるのは報道メディアだけではなく、記録性を帯びた活字メディア、映像や映画など、多様な発信に期待を寄せるしかない。

最近では映画『西部戦線異状なし』がドイツで作られるなど、舞台となった場所でその言語のやりとりが、その時の空気観をも伝えられるようになった。

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