自民ベッタリ“肩書”大好き。解体すべき労働者の敵「連合」と芳野友子会長の怪しい正体

 

連合会長の芳野友子氏とは何者か?

世間が驚いたのは、2021年9月30日、「連合」での役員改選に合わせた役員推薦委員会への届け出で、会長に立候補したのが、芳野友子副会長ただ一人となり、10月6日の定期大会では、そのまま芳野友子副会長が初の「連合」の女性会長に選ばれるという「異変」が起こったことでした。

他の有力会長候補が大規模な出身母体の団体(自動車総連)との調整がつかないままに、とんだダークホースが会長就任となったのでした。

この連合会長となった芳野友子氏とはいったい何者なのでしょうか。

芳野氏は、1965年11月9日生まれの59歳です。

1984年に18歳でミシンメーカーのJUKI(ジューキ)株に入社し、翌年19歳でJUKI労働組合の専従職員になります(入社時の社名は東京重機工業株式会社)。

また、JUKIではバレーボール部のマネージャーを務めていたという情報もあります。

しかも、労組の専従職員でありながら、芳野氏はJUKIの社長、役員とも非常に良好な関係を維持し、いつも経営陣から励ましの声まで送ってもらっていたと、のちのち「連合」の会長に就任してからのインタビューでも無邪気に述懐しています。

人たらしだったのでしょうか。

そして、1988年23歳の時に、JUKI労働組合の中央執行委員に就任します。この時、20人の役員中、女性は芳野氏たった一人だったのでした。

当人は、JUKI労働組合の中央執行委員を務めていた際には、男女の均等待遇に向けた取り組みをずっと行ってきたといいます。育児休業制度を会社側に認めさせて、女性社員から感謝された──などとも後に語っています。

そして、1999年9月、34歳でJAM(ものづくり産業労働組合=後述)の中央執行委員ともなり、次いで2007年10月、42歳で「連合」中央執行委員にもなります。

その後、2010年には45歳でJUKI労働組合委員長に就任します。

さらに2015年、50歳でナショナルセンター「連合」の副会長にも就任します(この時すでにJAMの副会長にも就任していました)。

ちなみに、芳野氏の出身母体のJUKI労働組合は600人程度の少人数の組合員しかいませんが、産業別労働組合のJAM(ものづくり産業労働組合=金属機械産業中心)に属しており、ここにはセイコー、ニコン、横河電機、ダイキン、クボタなどの大手労組の他、中小企業労組が多く連なり、34万人の組合員を擁し、連合内では5番目の組合員数を誇ります。

芳野氏が、数少ない労組の女性役員という立場をふんだんに活かして、男性中心の労働組合の中で頭角を現し、とんとん拍子に出世していった状況がよく窺えます。

この記事の著者・神樹兵輔さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • 自民ベッタリ“肩書”大好き。解体すべき労働者の敵「連合」と芳野友子会長の怪しい正体
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け