【二重性】
これまで見て来たように、「人生100歳時代」の現代においては、エリクソンが8つの「発達期」を区分した時代に比べ、年齢設定は後ろの方に向かって延長されています。
「30歳でようやく一人前」と言われたり、結婚時期の遅れなどは、明らかに青年期の延長現象であり、同様に、仕事の「定年」も延長されようとしています。
先ほど紹介した、「実年齢に0.7をかける」ことで得られた仮の年齢に合わせて、発達課題の問題も考えた方が良いのです。
たとえば、30歳に0.7をかければ21歳ですから、現代の若者が30歳になって「一人前の社会人」つまり「成人期」に達するのは、ごく自然なことなのかもしれません。
ということは、75歳になり「後期高齢者」グループに参加する私は、エリクソンが活躍した当時の年齢に換算すれば53歳で「壮年期」の真っ只中、ということになります。
逆に言えば、壮年期に達成するべき「課題」を、まだやり遂げていないということなのかもしれません。
壮年期の課題は「世代性」であり、これまでの人生で学び取ってきた「知識」や「技術」を次の世代に伝達することでした。
聡明で先進的な企業では、定年後の世代を動員して、これまで蓄積した「社内文化」や年寄りの知恵?!を若年層に伝達するということに予算と人員を割いています。
個人差はあると思いますが、その人が健康なら、定年後も80代までは、こうした「伝達」の仕事に係わっていけるのではないでしょうか。
しかし一方では、「死」は否応なく私たち世代にとって身近な課題になりつつあります。
私個人も昨年までの数年間に、親しい友人を何人も見送りました。
新年に入ってからも、同級生の思いがけない逝去を知らされました。
私のような脳天気な者でさえ「次は自分かもしれない」とどこかで思っています。
世間一般で言われる「終活」も必要でしょう。
少なくとも、自分自身の人生を振り返り、生きて来たことの「意味」を納得することが求められています。
つまり、老年期の課題も同時に突き付けられているのです。
「壮年期」の「世代性」という課題はまだやり遂げておらず、その一方で「老年期」の「統合性」という課題にも向き合わざるを得ない、そうした「二重性」が現代を生きる高齢者の宿命なのかもしれません。
まあ、それはそれで悪いことではないと考えましょう。
課題が多いということは、それだけ天に「生かされている」ということの証拠なのですから。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より一部抜粋)
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