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「5分で解任」売上30億円まで育てた会社を突然追われたジャパニアス西川社長、51歳からの逆転劇【前編】

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2026年4月16日に実施された、「morichの部屋 Vol.33 ジャパニアス株式会社 代表取締役会長 兼 社長 西川三郎様~」前編の内容を書き起こしでお伝えします。

出演者名

ジャパニアス株式会社 代表取締役会長兼社長 西川三郎 氏
株式会社morich 代表取締役社長 森本千賀子 氏
株式会社START UP STUDIO 代表取締役 兼 WEIN/BACKSTAGE Group 執行役員 兼 REAL VALUE CONFERENCE 代表取締役CEO 兼 WEIN M&A 代表取締役CEO 福谷学 氏

オープニングトーク

「5分で解任」売上30億円まで育てた会社を突然追われたジャパニアス西川社長、51歳からの逆転劇【前編】

福谷学氏(以下、福谷):本日も「morichの部屋」が始まりました。毎月行っていますが、この1ヶ月で何か変化はありましたか?

森本千賀子氏(以下、morich):この1ヶ月、4月は私だけではないと思うのですが、みなさまめちゃくちゃ忙しい時期ですよね。

福谷:確かに、いろいろとありますよね。

morich:この忙しい中、オーストラリアに10日間行っていました(笑)。

福谷:そうなのですか。何をされに行ったのでしょうか?

morich:息子に会いに行きました。今、留学中なのです。

福谷:なるほど、息子さんはお元気でしたか?

morich:めちゃくちゃ元気でした。やはり留学は絶対にさせたほうが良いですね。本日のテーマとは少し離れるのですが、1年で非常に成長していました。

福谷:どのように成長されたのですか?

morich:まずはメンタルですね。ぜんぜん違いますし、「この1年間、自分の人生にしっかりと向き合って考えた」と本人が言うのです。

福谷:それがご本人の言葉として出てくるのですね。

morich:出てきます。日本にいたらそのようなことは絶対になかったと思うのですが、人間として成長しました。

福谷:長男さんですか?

morich:いえ、次男です。暴れん坊のほうです(笑)。

(一同笑)

福谷:失礼しました(笑)。しかし、採用のお仕事もされていますから、めちゃくちゃ忙しいのではないですか?

morich:実はオーストラリアは時差がないのです。行っていたのですが、ほぼ歩きながら仕事をしていました(笑)。

福谷:そうなんですか!

morich:本当にまったく違和感なく仕事ができますね。これからはちょくちょく行こうかと思います。

福谷:オーストラリアの春はどうなのですか? 寒いのですか?

morich:逆です。めちゃくちゃ良い季節です。日本でいうと9月頃でしょうか。

福谷:では、暑いくらいですか?

morich:日中は少し暑いくらいです。大変良い季節で、花粉がないのです。

福谷:花粉がない! それは大変重要なポイントですね(笑)。

morich:めちゃくちゃ重要なポイントです(笑)。

福谷:ということで、「morichの部屋」も今回で33回目となります。

morich:「3・3」ですね。

福谷:ラッキーです! 確変中です(笑)。

morich:もちろんそうです(笑)。当社は創業日が3月3日です。

福谷:そうなのですね! では大変良い日というか、ポジティブに捉えられますね。

morich:今日は良いことがあると思っています。

福谷:本日のゲストの方とも大変良い出会いでした。

morich:もともとはオーディエンスとしてお越しいただいた社員の方から「うちの社長に出てほしい」とお話をいただき、「ぜひお願いします」というところから実現しました。

福谷:そんなに簡単に実現できるものではないと思います(笑)。

morich:最近はオファーが多く、今年の12月分まで決定しています(笑)。

福谷:確かに、まだ4月ですからね。8月には「morichの部屋」3周年記念イベントもあります。

morich:みなさまにもぜひお越しいただきたいですね。過去の30数回の社長さまにお声がけしていますので、一気にお会いできます。

福谷:すごいですね。33回目、深いですね。

morich:今日も大変楽しみにしています。私は人材ビジネスを前職のリクルートも含めて35年ほど行っていますが、本日のビジネスはまさに人材ビジネスですよね。

福谷:確かにそうですね。

morich:根掘り葉掘りおうかがいしようと思っています。

西川社長の自己紹介

福谷:では、さっそくご紹介しましょう。

morich:本日のゲストは、ジャパニアス株式会社 代表取締役会長兼社長、西川三郎さまです。よろしくお願いします!

西川三郎氏(以下、西川):よろしくお願いします。

morich:この後深掘りしていきますので、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。

福谷:その前に少しよろしいですか? 西川社長は「morichシャワー」はご存じですか?

西川:いえ、存じ上げないです。

morich:ご存じないと思います(笑)。

福谷:「morichシャワー」とは、morichさんがシャワーのように浴び続けるくらい、さまざまな西川社長の情報を掻き集めてきているというものです。

morich:そうなのです! 始めた頃は、まだChatGPTやGeminiなどを使っていなかったため、さまざまなサイトにアクセスしていたのですが、現在は「morich AI」というものがありまして、そこで下調べをしています。

西川:調べるわけですね。

福谷:根掘り葉掘りですね。本日もいろいろな学びをいただきたいと思っています。

西川:よろしくお願いします。

morich:では、簡単に自己紹介をお願いします。

西川:私は愛媛県大洲市の出身で、1948年(昭和23年)4月8日生まれです。先般78歳になりました。

morich:おめでとうございます! 今気づいたのですが、私の結婚記念日でした。忘れていました(笑)。

(一同笑)

西川:ありがとうございます。三郎という名前のとおり三男で、父親が40歳過ぎてからの子どもだったものですから、当時としては生まれてこなくてもいいような子どもだったのです。

morich:そんなことはありません(笑)。

西川:しかし、大変優秀な子が生まれたということで両親が喜びました。小学校から成績がかなり良かったのです。

そのような経緯があって慶應義塾大学に進学し、そこから人生が始まりました。そのような感じです。

小学1年生で兄に勝ち、あっという間に囲碁五段に

morich:慶應義塾大学から先が3秒で終わってしまいました(笑)。中身を深掘りしていきたいと思います。愛媛県大洲市ということは、かなり田舎ですか?

西川:田舎ですね。

morich:周りは自然しかないような環境でしょうか。どのような幼少期だったのですか?

西川:すごく囲碁が強かったですね。私が小学1年生の時に、兄たちは大学生や高校生でした。我が家は全員国立大学なのですが、歳の離れた子でした。父が兄に囲碁を教えているのを隣で見ていた私が「その手は違う」と言ったのです。

morich:小学1年生でですか?

西川:すると兄は「囲碁にはルールがある。知りもしないのに生意気なことを言うな」と怒りました。そこで私は「では勝負しよう」と言ったのです。兄は「そんなバカなことがあるか」と言いましたが、父が「やってみろ」と言うので対局したら、私が勝ったのです。

(一同笑)

morich:それはすごいです! 囲碁は難しいですよね。

西川:父が「こいつは才能がある」と言いました。父は初段だったのですが、私はあっという間に、小学生で五段になりました。

morich:えぇ!?

福谷:すごい!

西川:プロに引き抜かれるような感じだったのですが「碁打ちでは食べていけないな」と思いました。後に慶應義塾大学に入った際、慶應の囲碁のチャンピオンが2年生でプロに行ったのですが、その人でも六段ほどにしかなれませんでした。なかなかプロの世界は厳しいとわかっていたので、囲碁は趣味として行っていました。

morich:クレバーな方は、幼少期から囲碁や将棋が強いという共通点がありますよね。

西川:走るのも速かったですね。勉強はほとんどしなかったのですが成績は極めて良くて、オール5が小学校から中学3年生まで続きました。

morich:ええっ!? 本当ですか? 天才じゃないですか!

福谷:それは相当ですよね……。

西川:母が通信簿をずっと持っていました。年を取ってからの子だったものですから、自慢だったのでしょうね。

morich:ほとんど勉強もせずに、授業を聞いているだけで理解できたのですか?

西川:記憶力がとても良かったのだと思います。囲碁が強い人や将棋の藤井聡太さんなどもそうですが、みんな東大に入れるような頭脳をお持ちですからね。

morich:本当にそうですよね。ご自身でも自覚されていたのですか?

西川:自覚はしていませんでしたが、「田舎の神童、東京に出れば凡人」と言われるくらい、東京は厳しいところだなと思いました。

小説家になるために上京した慶應義塾大学時代

morich:慶應義塾大学を目指されたきっかけは何だったのですか?

西川:父が「私立は学校ではない」と言うような人だったので、国立大学を目指していました。

morich:お兄さまはお二人とも国立ですものね。

西川:父も国立です。「東京大学に行け」とも言われましたね。しかし慶應義塾大学と早稲田大学に合格したので、たまたま慶應大学を選んだというわけです。

morich:その時に初めて、愛媛から東京に出てこられたのですか?

西川:高校2年生の時に猛烈に本を読み始めまして、図書館ではタダで借りられるので、世界文学全集や日本文学全集などを毎日1冊読んでいたのです。

morich:毎日1冊ですか!

西川:そして、自分でも小説を書いていたのですよ。

morich:実は今も小説家という、もう1つの顔をお持ちです。いつ頃から書いていらっしゃったのですか?

西川:高校2年生の時からですね。小説家になろうと思って東京に出てきたのです。

morich:当時の夢は小説家だったのですね!

西川:それ以外は考えていませんでした。

morich:小説を書く方は、書きながらストーリーを考えるのですか?

西川:私はミステリーを書くことが多いのですが、アマチュアは出だしから書きますね。プロは結末から考えるのです。結末が出ないと小説は書けないのです。推理小説の場合は大体、犯人は1ページ以内にいるのです。

morich:1ページ目にですか! 最初のほうに必ず登場しているのですね。

西川:途中から現れるのはダメなのです。

morich:それが王道なのですね。

西川:そして、最も犯人らしくない人物が犯人なのです。

(一同笑)

morich:私もミステリー小説にハマると寝ずに読んでしまいます。ちなみに、高校生の時に書かれた小説は今も手元にあるのですか?

西川:いえ、もうないですね。高校生の時に国語の先生が「これは良い小説だ」と校内放送で流したほどで、「文藝春秋に投稿しろ」と言われたくらいでした。短編だったのですけどね。

morich:その時は投稿されなかったのですか?

西川:投稿はしなかったのですが、いつかは行おうと思っていました。大学時代もずっと小説を書いていました。学生運動で大学が封鎖されていた時期でしたので、下宿に籠もって書いていました。

morich:「神田川」のような世界ですね(笑)。

西川:そこで、後に幻冬舎を立ち上げる見城徹社長に出会っているのです。当時はお互い学生でしたね。彼が大学1年生、私が2年生でした。

morich:同じ世代なのですね。

西川:くりくりとした好奇心の強い男でしたよ。

morich:作家デビューはどのようなタイミングだったのですか?

西川:見城氏と別れて30年後、彼が角川書店を辞めて幻冬舎を設立したという新聞記事を見ました。当時私は2番目の会社にいて小説を書いていました。

千代田生命保険に新卒で入りましたが本当に嫌で嫌で、ずっと小説を書いていたのです。作家というのは生意気で世間知らずですから、アルバイトもしたことがない男だったのです。もう辞めたくてしょうがなかった時に、左遷されましたね。

morich:そもそも、なぜ就職をされたのですか? 作家の道一本ではなかったのですか?

西川:食べていけないですからね(笑)。食べるために、当時慶應閥だった千代田生命保険に入社しました。大学の成績は良くなかったのですが、拾ってもらったようなものです。

morich:就職活動はあまりされなかったのですね。

西川:生意気な男で、人から雇われるなどあり得ないと思っていました。4年間ひたすら小説を書いて、学生運動のようなことをしていました。

morich:将来の夢みたいなものはあったのですか?

西川:それはもう、小説家です。

morich:そこまで心に決めていたのですね!

西川:いや、自惚れが甚だしいのです。世間知らずと言いますかね。

morich:ちなみに、1冊書くのにどれくらいかかるのですか?

西川:今は長編を書いていますから、4、5ヶ月かかりますね。

morich:大学時代は4、5ヶ月に1冊ずつ書かれていたのですか?

西川:いや、なかなか完成しなかったですよ。さっき言ったように、アマチュアは最初から、プロはラストから考えるのですね。アマチュアだから最初ばっかりこだわってたわけです。先が続かないわけです。要するに構成ということができないのですね。表現だけにこだわっていました。その頃は純文学作家を目指していましたが、なかなか完成はしませんでした。

morich:本当に恐縮なのですが、私も13、14冊出していまして、大体まえがきとあとがきから書きます。

福谷:まえがきから書くのですか?

morich:まえがきとあとがきですね。ぜんぜんレベルは違いますが、気持ちは少しわかります。

千代田生命での経験が、後年の経営に活きる

morich:千代田生命に入社されたということですが、やる気はまったくゼロだったということですか?

西川:営業は嫌いだったのですが、生まれつき負けず嫌いなところがありまして、1番になったこともあります。

morich:そうでしたか! 当時は代理店営業ですか?

西川:私が最も嫌いなセールスレディの方々のマネジメントです。

morich:採用もされていたのですか?

西川:採用もして育成もします。しかし、生命保険の営業ですからみなさん嫌がるのです。それがもう嫌でしたね。最初は10人ほどから、だんだん50人ほどをまとめていました。

morich:女性ばかりですし、ライフプランナーの仕事はハードシングスの塊です。メンタリティも上がったり下がったりするような感じだと思いますが、それをフォローされていたのですね。

西川:接し方のうまい人もいますが、私は苦手でしたね。どちらかというと教育熱心に「勉強しなければダメだ」と指導していたのですが、「契約を取ってくればいいんでしょう?」という感じでした(笑)。

morich:まぁ、究極はそうですけどね(笑)。結果的に何年ほどお勤めになったのですか?

西川:19年間我慢しました。

morich:19年間! 嫌だったのにすごいですね。

西川:藤沢の営業所に配属され、2年で営業所長になりました。最年少で一番出世しました。それから本社の総合企画部に異動し、5年間いました。それが後年の経営に活きてくるのですが、初めて仕事がおもしろいと思いました。保険を売っているだけの営業ではわからなかった、会社の全貌がわかるわけです。

morich:エリートじゃないですか! さまざまな経営指標を分析したりするような、いわゆる経営企画の仕事ですよね。30代の頃でしょうか。抜擢人事ですね。

西川:当時の人事部長が研修所の所長でした。研修中に「ランチェスターの法則がわかる人?」と質問されたのです。パイロットの話で、量と質が戦闘を決めるという理論です。私は大学時代に本を読んでいたので、黒板に書いて滔々と説明しました。それが彼の中に残っており「こいつは企画向きだ」と評価されたようです。

morich:大学時代に学んだことを覚えていらっしゃったのがすごいですよね。

福谷:私はまったく覚えていないですよ(笑)。

西川:総合企画部は競争が激しく、1年でほぼ交代になるのですが、私は生意気でしたので、後に役員になるような人たちを集めて「会社を壊せ」などと偉そうなことを言っていたのです(笑)。それが後年、「西川は生意気だ」ということになり、営業に戻された時に左遷されたのです。

morich:まるで『半沢直樹』ですね。

猛烈に働き、上場目前まで成長させた会社で突然の解任劇

西川:「お前なんか出世させない」と言われました。慶應でも派閥があるのです。「こんな理不尽な会社はやめよう」と思い、妻の実家が経営していた50人ほどの設計会社にスカウトされて転職しました。そこで9年間猛烈に働き、会社を大きくしました。

morich:どれくらい大きくされたのですか?

西川:売上高が10億円になった時に義父から感謝され、その後20億円、30億円と成長させ、上場を目指し始めたのです。

morich:えぇ!? 9年間でですか? 才覚がありますね!

西川:主幹事会社から「西川さんは株を持っていないのに、なぜそんなにがんばるのですか?」と言われました。その頃、第一作の小説を書いていたのですが、見城社長からも「株がないのに上場への努力をするなんてバカなことがあるか」と言われました(笑)。

morich:いずれ承継するとお約束はしていたのですか?

西川:「株を10パーセントやる」と言われましたが、時価総額で6,000万円くらいになっていました。私も給料をそれほどもらっていませんでしたし、家も建てており、子どもも私立に通っていたのでお金がありませんでした。

そこで「出世払いで貸してくれ」とお願いしたところ「わかったよ」と言ってもらえたのですが、いつの間にか「やっぱり貸さない」と言い出したのです。

morich:ええっ!? 義理のお父さまがですか?

西川:義母ですね。義父はほとんど経営に口を出しませんでした。義母が私をものすごく買ってくれていたのです。株の話では義父が反対したのでしょうか、よくわかりません。

morich:婿とはいえ血がつながってないですからね。

西川:私はやる気を無くしてしまいました。そうこうしているうちに、会社がうまくいかなくなっていきます。当時は山一證券などが破綻した時期で、上場を目指して優秀な人材を50人ほど採用していたのですが、結論から言うと、その人たちが私を裏切って会社を乗っ取ろうとしたのです。

福谷:えぇ!?

西川:ある日突然、解任されました。臨時取締役会が開催され、5分で解任です。

morich:5分でですか!? 当時は役員だったのですか? 後継者候補ですよね。

西川:代表取締役専務でした。「私は昨日、当会社の監査役に就任しました弁護士の◯◯です。ただいまから臨時取締役会を開催します。第1号議案、代表取締役専務西川三郎を本日をもって解任する」と言われました。

福谷:ひどい!

morich:もちろん、その時初めてそれを知ったのですよね。寝耳に水ですよね。

西川:私は「異議あり!」と言いましたが、その弁護士が「あなたは昨日の株主総会で解任が決定されました。理由は以上です。訴訟されたければどうぞ」と、言われたのです。「午前中に私物や携帯、健康保険証などをすべて置いて即座に会社を出なさい」とのことでした。

福谷:そんなことがあるのですね……。

西川:本社に戻ったら総務の社員が「専務、どうしたのですか?」と泣いていました。「クビだ。ダンボールに入れろ」と、荷物をまとめました。

morich:株式は義理のお母さまが持っていたのですよね。

西川:親族で持っています。決議は50パーセント以上持っている人たちですればいいわけです。

morich:親族で50パーセント超になっていたのですね。義理のお母さま側がそれを仕込んだのでしょうか……。

西川:仕込んだというか、今振り返ると、邪魔だったのでしょうね。これが後年、ジャパニアスをゼロから立ち上げる背景となりました。

morich:その時に、もし順調に社長をされていたらジャパニアスは無かったのですね。

西川:無いですし、いずれはクビになっていたという話ですね。

morich:お母さまの気持ちとしては「婿に乗っ取られる」という感じだったのでしょうか。

西川:うちの妻に言わせると「決議は屁理屈で、あなたが邪魔なんだ。お母さんも都合が悪くなった」ということでした。義母が「社長にしてやる」などと散々言っていたのですが、義父や当時社長だった義兄が気に食わなかったのではないでしょうか。

morich:なるほど、親族の中では他人ですから、たぶんそこですね。実はそのような話はけっこうあります。

51歳からの再スタートとジャパニアス創業

西川:妻からは就職してくれと言われましたが、もう51歳です。当時の主任が私のところに来て「もう独立するしかないですよ。専務が旗揚げしたら100人から200人はついてくる」と言いました。「そうだよな。俺が採用した人材だもの」と旗揚げしましたが、蓋を開けてみると、なんと6人しか来ませんでした。

(一同笑)

morich:本当ですか!? それはさみしいです。

西川:大学生は1人も来ませんでした。貧乏な会社には来ないですよね。私だって行きません。

(一同笑)

morich:確かに、何もない状態ですものね。でも、奥さまはついてきてくださったのですね。

西川:親には別れろと言われましたけどね。

morich:ちゃんと愛があったのですね……。突然の退任で、アイデアゼロの状態から何を始めたのですか?

西川:それは今までの経験しかないじゃないですか。9年間もいれば、すべてのことがわかっています。しかし、人がいなかったので、苦労はしましたよね。

morich:しかし、まったく同じことをやるわけにもいきません。現在は人材ビジネスを行っていますが、それをやろうと思ったのはなぜですか?

西川:それは人材ビジネスみたいなことを前の会社でもやっていたからです。

morich:近いことをなさっていたのですね。

西川:技術会社、エンジニアの会社です。

morich:オフィスはどうされたのですか?

西川:横浜の鶴屋町にある、しがないマンションの10畳の一室ですよ。私が公共職業安定所で採用した人を連れてきたら「これ会社ですか?」と、向こうから断られました(笑)。

morich:株式会社として、ジャパニアスを立ち上げられていたのですか?

西川:そうです。「ジャパンの明日」でジャパニアスです。

morich:なるほど、「ジャパンの明日」ですね! 資本金はいくらだったのですか?

西川:1,000万円です。お金がないので兄に借りました。ローンもありましたしね。

morich:不退転の覚悟ですね。「morichの部屋」の視聴者はスタートアップの経営者の方などが多いのですが、大体20代や30代なのです。そう思うと、51歳で何もないところから始めるということは……。

西川:かなり珍しいですよね。

morich:逆に言うと、20代や30代でしたら、いくらでもなんとかなりますよね。51歳で守るものや家族もあるのに資金もなく、本当に借金から始まってますからね。でも、そこからやはり「負けないぞ」と思われたのですか?

西川:ゼロからのスタートでしたが、100人、200人規模の社長を見ていて「あんな器でできるなら、俺は1,000人規模の会社にできる」と本気で思っていたのです。

morich:思っていらっしゃったのですね!

西川:従業員には「社長はバカではないか」と言われましたが、目標を持てば必ず実現できるのです。20歳を過ぎて「オリンピックの選手になろう」などと思うサラリーマンはいませんよね。人間は自分の手の届くことしか目標に設定しないものです。ホラではなく「できる」という信念があったのです。

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