花火と核
【毎日】の「余録」の書き出しはロシア。ピョートル大帝が「大変な花火マニア」だったというところから。「花火研究室」を作り、自ら花火を作り、打ち上げや仕掛けの演出もしたというから驚く。そのあたりのディテールが続くが、ここまでの話は、清水武夫「花火の話」がネタ本として紹介されている。そして、このピョートルとは違い、「国の政治や経済の近代化に背を向け、国民の窮乏をよそに危険な火遊びに熱中する独裁者のいまわしい道楽」と断ずるのが、今回の北朝鮮の核実験という展開。
記者は、「思い起こされるのは、先頃金正恩第1書記が「水爆の爆音を響かせる核保有国になった」と発言した後、北の楽団の北京公演が急に中止された一件」だと言う。金正恩発言に中国が不快感を示し、公演を中止させたのだと記者は言いたいようだ。コラムの締めは「花火代わりに核をもてあそぶ絶対君主気取りを許してはならない21世紀である」と結んだ。
uttiiの眼
楽団の北京公演の件を書いた後、記者は「テスティング(実験)」には、子どもが保護者をわざと困らせて自らへの関心を試す行為という意味もあり、今回の北朝鮮と中国の関係に準(なぞら)えている。
花火の譬えが全体を貫通していないので、まあ、なんとなく、話の種として書き始めに使っただけのような形になっているのが惜しまれる。それに、ピョートルはロシアを文字通り帝国に拡大強化した人で、近代化以上に、戦争に明け暮れた人物という印象。花火も決して風雅な楽しみというわけではなく、戦意高揚とか国威発揚の道具だったのではないか。だとしたら、「花火はよいが核実験は…」というような印象で扱うのはどうだろうか。大いに疑問だ。私自身は、ZEDDがコンサートで使うものを含めて、花火は大好きだが(笑)。