【貧乏旅行記】バックパッカーがスペインの廃村で過ごした不思議な夜

 

単なる勘違いだった。

タリファのミスコンの優勝者と準優勝者と。個人的には向かって右のコが好みである。

タリファのミスコンの優勝者と準優勝者と。個人的には向かって右のコが好みである。

約3ヶ月のスペイン滞在中、マラガで闘牛を堪能したし、シエラネバダ山脈第2位の高峰ベレタ山(標高3,398メートル)も登頂したし、バルセロナでフラメンコも味わいサグラダ・ファミリアのてっぺんにも上がったし、フィゲレスでサルバドール・ダリ美術館も訪れたしと、いろいろスペインを満喫した旅だったけれども、徒歩旅行でなければ起こり得なかった体験を2発ほど。

まず、1991年9月30日、海沿いの人口20万弱の都市アルメリアで泊まった宿のこと。その夜、僕は市内にあるはずのユースホステルを探していた。町に到着した時刻が午後8時を過ぎていたためユースホステルで夕食にありつけるか心配だったので、チェックイン前にスーパーに立ち寄り、パンやハム、チーズ、レタス、魚の缶詰、ミネラルウォーターに牛乳、ビールなどの食料品を大量に買って持ち込むことにした。

この日は40キロ以上を歩き、ただでさえ疲労困憊したからだに重いリュックサックを背負ったうえ、さらに両手に重いレジ袋をひとつずつ下げた格好で、ユースの住所めざして夜道を歩く。

息も絶え絶えになったころにようやく町はずれのユースまでたどり着いたとたん、両目が点になった。なんと休業中じゃないか。あきらめきれずにチャイムを連打してみたけれど、館内に人の気配はない。がっかりして近所の人に聞いたところ、9月半ばまでのバカンスシーズンが終わると、このユースは休業するとのことだった。

時間も時間だ、早いところ安宿を探さなければならない。僕はトホホな気分で今来た道を街の中心に向かって引き返した。

しかし間の悪いことは重なるもので、バカンスシーズンがほぼ終わったといっても街なかの安宿はどこもここも時季遅れのバカンス客で満室状態。片っぱしから断られ、本当に行き場をなくしてしまった。前夜はアルメリマルのキャンプ場で寝袋ひとつで地べたに寝たので背中が痛い。できればこの夜はベッドで寝たいが、旅費は節約しなければならないので安宿以外は泊まれない。

よし、もう一軒だけ安宿を探そう。そこでも断られたら、がんばって海岸まで歩いていって野宿するしかない。

そう思案しつつ安宿のありそうな裏道を歩いていてようやく一軒見つけた。玄関の上の看板が暗くてよく見えないが、「RESIDENCIA なんとか」と書いてあった。レシデンシア。家とか館とか宿とかの意味で、雰囲気からそこが高級ホテルでないことははっきりしている。僕は最後の気力を振り絞って玄関をくぐった。

ロビーにはなぜかシャツやジーンズなどの古着が山積みされており、男がひとり、山の中からシャツを一枚一枚つまみ上げて品定めしている。まもなく背の低い、口ひげを蓄えた初老の男が笑みを浮かべて出てきて僕に挨拶した。

「ブエノス・タルデス(こんばんは)」

「ブエノス・タルデス。部屋は、ありますか?」

僕はダメもとで聞いてみた。

「スィー(はい)」

おお、部屋にありつける!シャワーで汗を流し、ベッド上で眠れる。やったぜベイビー。僕は精も根も尽き果て今にもぶっ倒れそうだったのに、この神の恵みともとれるひとことに小躍りした。目の前の短躯の好々爺然とした男の背後に、キラキラときらめく後光がはっきりと見えた。

彼に案内されて古着の山の横を通過し、建物の奥へと進む。リビングかレジャー室とでも呼べそうな一室では数人の男たちが声高に酒を酌み交わしていた。だいぶご酩酊のおっさんもいる。

そしてもっとも奥まった白壁の薄暗い部屋に足を踏み入れると、そこには20台ほどのビーチチェアーが一列に並んでいて、男たちが思い思いの体勢で寝転がっている。これは希望したシングル部屋ではなくてドミトリーじゃないか。それもユースホステルで何度か泊まったドミトリーとは明らかに雰囲気が違う。そこにいる全員がなんとなく怪しいのだ。

その光景に呆然としていると、後光が射した好々爺は空いたビーチチェアーのひとつを指さし、僕に向かって力強くうなずいた。どうやらそれを使えということらしい。

>>次ページ 宿代にビックリ仰天!

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