先日、全米で3日間限定で上映された映画『シン・ゴジラ』を観たという、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の執筆者のひとり、シアトル在住の英日翻訳家・TOMOZOさん。アメリカ人には到底理解できないという日本人の「内省」や、システムに縛られた政治家たちの滑稽な様子は非常にリアルで素晴らしかったと絶賛する一方、どうしても気になる登場人物がいたとのこと。それは一体…?
自虐の国のゴジラ
ゴジラに、私は期待をしていた。
10月の第2週に、全米の数都市の数館で、3日間だけ、しかも1日1回限りという超限定で『シン・ゴジラ』が公開された。日本で異常なまでに話題になっているのを聞いていたので、私はかなり期待して観に行ったのだった。
たまたまその時、カリフォルニアに用事があって行っていたので、はからずもグーグル本社からほど近いシリコンバレーの映画館で、「ニューゴジラ」のアメリカ上陸を見届けることになった。
この映画館は全席完全指定で、ボタンを押すと足乗せ台がぐいーんと出てきて椅子というより寝台みたいになる、キングサイズのシートが売り。一つの椅子が巨大なので席数はそれほどないけれど、前のほうまでほぼ満席だった。
IT業界のギーク(オタク)君たちが密集する地区だけに、米国のほかの地域よりもゴジラについての認知度は格段に高いとおもわれ、ゴジラが登場するたびに館内のあちこちから歓声が上がるという、かなり熱い上映会だった。ゴジラの足のかたちのスリッパを履いて観にきている人さえいた。そんな熱い米国ゴジラファンに混じって観たシン・ゴジラ。
いや面白かったんだけど、ううーん、惜しい! もうちょっと頑張って、アメリカ人にぎゃふんといわせてほしかった。以下感想(ネタバレあります)。
- この映画は、自虐的。良い意味で
- 政治家と官僚のおじさんやおばさんはとてもリアルだった
- でも「カヨコ」の破壊力が尋常ではない
- アメリカがファンタジーランドとして描かれている
- いろいろな意味で閉じている
1.まず、この映画を観たアメリカ人の多くは、日本人とはなんと自虐的な人々であることか、と思うのではないか。
でもそれは、ゴジラ本体の次にこの映画が誇るべき美点だと思う。
先住民に対する略奪や他国への侵略というような、自国の負の歴史を世界史の中で包括的に眺めることを「自虐」と捉える、困った人たちが日本にも一定数いる。わたしには理解できないけれど、そういう人は、きっと「誇り」と「盲信」を履き違えているのだろうと思う。実際、自覚的になにかを信じるのはとても難しいことであるし、もしかしたら日本人にとってなにかを信じるということ自体がチャレンジなのだろうかとも思う。
日本というのは、鎖国>開国>帝国>敗戦>高度成長その他。…という歴史の中で「信じる」ということに懲りてしまった特殊な国といえるのかもしれない。誇りにできる共通システムがないので、日本の「愛国」という概念はとてもとても抽象的な、感情論になる。
アメリカ人、とひとくちにいってもいろいろいるけれど、アメリカ人の多くはおおむね、自国のシステムとパワーを全面的に信じ、誇りを持っている(もちろんそこには強烈な矛盾があるし、ほつれが顕在化して今現在の社会問題になってはいるけれど)。ベトナムを経験しても、イラクの戦争が泥沼になっても、国内に貧困がはびこっていても、自国の約束するシステムと自国の未来を、やみくもといっていいほどに信じようとするのがアメリカのコンテクストだ。
二大政党のどちらも、強く正しいアメリカをうたわなければ決して選挙には勝てない。そしてそれは、決して空疎な形容詞ではなくて、リアルな感情である。右の人も左の人も、解釈は違うけど国の基幹である思想とシステムの正当性については、揺るぎない確信を持っている。ブッシュの愛国とオバマの愛国ではかなり違うけれど、どちらもほんとうに真面目に、国が体現するシステムを愛しているのだ。あるいはそのように人に信じさせるのが上手い。