またもロシアに翻弄されるのか。北方領土が日本に一番近づいた日

 

米ロ関係の修復を公言するトランプ氏がアメリカの次期大統領に決定するや、再び日本とロシアの間に吹き始めた隙間風。今月15日にはプーチン大統領が来日しますが、果たして大命題のひとつである「北方領土問題」の進展はあるのでしょうか。無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』の著者・嶌さんが、過去の日本の失敗も踏まえながら考察しています。

近いようで遠い、日露の領土問題。安倍政権で巻き戻り?

12月15日にロシアのプーチン大統領が来日し、北方領土問題、平和条約の問題、日本の経済協力の問題について話し、進展があるのではないかと期待されている。しかしながら、歴史をひも解いてみると戦後からなぜこの北方領土問題の係争が続いているのかという点において、双方に認識の違いがあるというのが大きな要因であるように思う。

日本は1951年の9月にサンフランシスコ平和条約締結において、「千島列島と南樺太の放棄を宣言」している。しかしながらこの条約では千島列島の範囲を明確にしていなかった。千島列島はカムチャッカ半島から根室まで続く群島を指すのだが、ここで日露の食い違いがある。

まず、日本の言い分は、「千島列島は放棄するが北方4島(択捉、国後、歯舞、色丹)は日本固有のもので昔から権利を放棄していない」。それに対して、旧ソ連は「千島列島全ての島がそこには含まれ北方4島の問題はない」という認識の違いから始まっているものである。

北方領土問題が解決しかけた時期があった…

その後北方領土問題はこう着状態が続いたが、一転する時期が実はあった。それは、ゴルバチョフ氏、エリツィン氏が大統領を務めていた頃。ソ連が弱体化し、ペレストロイカ改革運動をやっていて、軍事的な問題よりおカネが欲しいというように変わってきた時期だったのだ。

オホーツク海はソ連太平洋艦隊の集結地で軍事的に聖域だったため、その出口をふさいでいる千島列島は非常に重要な位置であり、軍事戦略上の価値があった。この地域が日本のものになると太平洋に出られなくなってしまうという理由から、ソ連はそれまで北方領土に非常にこだわってきた。ところが、ソ連が崩壊寸前となりそんなことをいってられなくなり、むしろカネと技術の方が大事だと傾倒していった。

この時期の日本はバブル時代で日本からおカネを引き出そうと、91年4月にゴルバチョフ大統領が来日。当時は海部政権で、日ソ共同声明を発表し、領土問題の存在を初めて文書で確認した。

日本も「4島の日本への帰属が確認されれば返還時期や態様条件は柔軟に対応する」と方針を転換させ、少しこの問題が進みはじめた。しかし、この前に少し「領土返還」を示した人物がいたのだ。

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