【書評】「パックマン」と「12星座ブラ」の意外な共通点とは?

 

岩谷氏は女性ウケを狙って、ステージの合間にデモアニメを挿入することを提案したが、当初はプログラマーからは「ゲームに関係ないプログラムはしたくない」と強く否定された。しかし、女性の長いゲームプレイの緊張感をほぐす役割と、キャラクターの世界観を広げるという映画的な発想を理解してもらい、作らせた。

『パックマン』のゲームができあがり、中村雅哉社長に対する社長プレゼンの時に、中村社長は何時間も熱くプレイをしてくれたが、「どれが敵やらわからない、敵モンスターは赤一色にしろ」と命じた。確固たる遊びの信念を持った創業者・中村社長の意見もゲーム性を考えれば一理あるが、岩谷氏は感性議論では結論が出ないと悟り、いったん持ち帰り、開発部内で、モンスターの色についてアンケートを行なった。

そして、アンケートの結果は、圧倒的に4色のカラフルモンスターが支持された。そのアンケート結果を持って再び社長面談を行うと、社長は「わかった」とOKを出してくれた。

1980年5月22日、ついに渋谷で『パックマン』が公開されると、岩谷氏の思惑通りに女性客がキャーキャー言いながらプレイに熱中した。

『スペースインベーダー』ブーム最中の日本では抜群の売り上げがあったわけではなかったが、海を越えアメリカに渡るや、北米だけでも日本の20倍もの基盤が出荷され、爆発的な大ヒットとなり世界中を席巻した。まだ今のようにコピー版の取り締まりがしっかりとされていない時代だったが、それでも売上ベースでこれまでに数百億円を稼ぐ大ヒット商品となった。

岩谷氏はその後もナムコで『リブルラブル』『源平討魔伝』『リッジレーサー』など、ヒット商品を次々にプロデュースしていき、やがて東京大学大学院の特任教授となって新たなクリエイターの育成に力を注いだ。

『パックマン』誕生から25周年を迎えた2005年、『パックマン』は「最も成功した業務用ゲーム機」として、そして岩谷徹氏自身もその開発者として、ギネスブックに認定された。

制作者の岩谷氏でさえも想像できない規模の『パックマン』の大フィーバーがアメリカで起こったのはなぜか。それは、複雑な攻撃パターンを持った『スペースインベーダー』が日本では新しい衝撃として大ヒットしたように、北米での『パックマン』は「キャラクター性を持ったはじめてのゲーム」としてアメリカ人の心をファーストインパクトで射止めからではないかと感じている、と、岩谷徹氏は述べている。

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