森友学園問題の本質は「カルト」。高城剛氏が指摘する「偶然の浮上」
「生長の家」の特色は、自己啓発にあります。
いまでこそ、一般化している「ポジティブシンキング」を、谷口雅春は「光明思想」と訳し、この自己啓発が「生長の家」の中心にありました。
かつて、大本の軍部からの弾圧を受けた苦い思いもあって、また、周囲に多くの軍人がいたこともあり、生長の家は、軍国的な「皇軍必勝」のスローガンの下、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど教団を挙げて戦争に協力し、天皇信仰の教えを説きました。
終戦後、後に雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超は、初代ほどのカリスマ性をもたないゆえに、精神的支柱を戦前に習い、「靖国神社国家護持運動」など右派活動を行います。
また、70年安保の際に、「日本式システム」が倒れそうな際、三つの大きな勢力が、国体維持に力を貸しました。
それがいまでいう反社会組織と新興宗教の青年部、そして米国の一部勢力です。
それゆえ他国と違い、この三者が日本の暗部としていつまでも拭い去ることができず、古い体制を壊せずに、21世紀になっても成長の足を引っ張っており、不透明な状況が続いています。
日本の反社会勢力が、いまも世界最大の売上高を誇るカラクリがここにあり、また、新興宗教が政治の中枢に入り込んだのも、70年安保以降でした。
公明党が創価学会を母体にしているのは言うまでもありませんが、米国の一部勢力と結託した統一教会や崇教真光、そして生長の家の青年部は、極左化する学生運動を封じ込めるために、組織化されていきました。
この時の貸し借りと力学が、今日も連綿と続いているのです。
なにより宗教団体は、選挙の集票マシーンとして強く機能しており、大衆に政治的興味を失わせることや「なにも変わらない」と思わせることで、組織票を使って政権を作り上げてきました。
戦後の保守運動史上の中で、偶然にも浮上してしまった森友学園問題
世界情勢・陰謀・黒幕森友学園高城剛高城未来研究所「Future Report」
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け