まだ間に合う。冬の京都でしっかり願掛け「十六社朱印めぐり」

 

豊国神社(ご利益:開運招福・良縁成就)

1598年、豊臣秀吉は伏見城で亡くなり、阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建されました。当時は朝廷から「豊国大明神」の御神号を賜り、境内は30万坪を誇る壮大な神社だったと伝わります。しかし、1615年、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると徳川家康により豊国神社は廃されました。明治元年、明治天皇の命により再興が決まり、明治13年に方広寺大仏殿跡地に社殿が造営されました。

境内には伏見城の遺構と伝えられる国宝の大唐門が立っています。これだけでもかなり見応えがあります。

現在では出世開運の神様として全国より崇敬を集めています。境内には、秀吉の旗印である「千成瓢箪にちなんだひょうたん絵馬があり、朱印にもその姿を見る事が出来ますよ。また、隣接する京都国立博物館の門前にある大きな石垣を見逃さないで下さい。あの石垣こそが当時の豊国神社、方広寺の壮大さを物語っています。

長岡天満宮(ご利益:合格祈願・厄除開運)

学問の神様で有名な菅原道真の祟りを鎮めるために建てられた天満宮のひとつです。長岡天満宮は道真公の所領だった場所です。

京都屈指の桜の名所としても有名です。朱印には、天満宮の神使とされている牛の姿を見る事が出来ます。この地は、桓武天皇が平城京より平安京に遷都になるまでの長岡京の跡です。祭神菅原道真公が在原業平と共に、詩歌管絃を楽しんだ場所とも伝わります。

道真公は太宰府に左遷された時この地に立ち寄ったといいます。その時に「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しんだ縁故によって道真公自作の木像を祀ったのが創立の始まりです。

皇室の崇敬も厚く、1623年には八条宮の御領地となり、その後、参道をはさんで南北に八条ヶ池が築造されました。中堤の太鼓橋は加賀・前田候の寄進になると伝えられる名橋です。両側には樹齢150年程のキリシマツツジが植えられていて、新緑に映える真っ赤な様は圧巻です。

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