シリア拘束の安田純平さんが記者会見「あきらめたら試合終了」

2018.11.02
by gyouza(まぐまぐ編集部)
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10月下旬に解放が確認され帰国した、シリアの武装組織に拘束されていたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日午前11時より、都内の日本記者クラブで会見が2時間以上にわたっておこなわれた。日本記者クラブの発表によると参加記者386人、ムービーカメラ42台、スチールカメラ約40台と、予想以上にメディア関係者が集まり、安田さんの拘束事件に関して関心の高さが伺えた。

安田さんは、司会者からの説明の後に、記者会見冒頭で第一声として「関係者に対して深くお詫びいたしますとともに、感謝申し上げます」と謝罪と感謝の言葉を口にした。

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安田さんは、シリア国内へ入る手段や拘束されたときの経緯を自ら説明。シリア難民の紹介で、シリア人のガイドを紹介してもらったといい、その人物はイスラム国に殺害された後藤健二さんのガイドをしていた人だったという。

当初はスパイ容疑で拘束され、その後すぐにスパイ容疑は晴れたものの、「水はけの悪い」集合住宅の地下牢や、一戸建ての民家など、拘束先を次々と移動させられた長い「監禁生活」について詳しく話した。

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また、監禁された一戸建てには1日に数時間から10時間程度も電気が通り、衛星テレビを鑑賞することもできたという驚きの発言もあった。また、ピザのようなパンを運んできたときにトルコの新聞に包まれていたことなどからトルコの国境に近い場所ではないかと推測できたという。

さらに、武装勢力からの要求で「個人情報を書け」と要求され、身代金が支払われると期待した武装勢力側の意に反して払われる様子がなく、トイレに立つときに尻を蹴られるなど扱いが悪くなっていったという。

また、2016年1月には「家族からの質問項目に対して答えを書け」と要求された際も、家族へのメッセージとして「oku(奥:妻に対する呼び名) houchi(私を放置しろ)」と、要求には答えないようメッセージを書いたという。その後、日本側からの反応がなくなったため、武装勢力側が「身代金の要求を拒否するよう書いたのでは」と疑われ、トイレに立つ際の暴行がエスカレートしたという。

その後、日本側にメッセージが伝わったことを感じたため、安田さんは武装勢力側の動画撮影などの要求に対してすべて答えるようになったと話した。

また、安田さんは武装勢力からは「ニダール」という名で呼ばれていたとも明かした。

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2018年7月10日には「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設に移動。

その後、衣類とノートを渡され、「日記を(母国語で)書いて良い」という許可をもらったとしている。そのため、詳細な日付などを確認することができたという。彼らは「決して扱いが悪くない紳士的な組織だと認識させるため、テレビもあり食事も出し(1日2回)、日記も書かせることを許可したのでは」とした。また、食事の際にはスイーツも出てきたという。

監視の一人が「何か持ってきて欲しいものはあるか」と聞かれた際に「英語辞書」を要求。英語の話せる人物だったが、間違って地名を話してしまい、それ以後、あらわれなくなったという。

また、イスラムの法廷で裁かれた人たちも収容所に運ばれ、彼らは数日後に解放され、多くの人が入れ替わっていたようだと話した。

さらに、他の収容者に対する見せしめの拷問がおこなわれていた様子など、生々しい証言も。また、団体名を明かさなかった武装勢力が、タンスのようなところに組織名のロゴのシールを貼っていたため、「ヌスラ戦線を装っているのでは」と疑い始めたという。

そして解放された別の収容者が日本人がいたと証言されることを避けるため、「日本人であることを公言するな」と強制され、一言でも日本人であることを匂わせる発言をすると拷問をされたという。何度か施設内で部屋替えをさせられたが、最終的に入れられたのが1.5m×1mの狭い部屋で、指の関節の鳴る音や鼻息などの物音が立つと拷問が始まり、食事も骨だらけにされるなど、多くの嫌がらせを受けていたという。

また、壁の両側で24時間も耳を立てられ、監視され続けていたという。

さらに、体を動かす(運動をする)手段として、イスラム教徒に改宗すると話し、イスラム教で決められている1日5回の礼拝の際に運動することができたと驚きのエピソードを明かした。

その後、彼らへの抵抗としてハンスト(絶食)し20日間も何も食べなかったが、施設のボスような人物から食事をするよう(ハンストを中止するよう)命令されたという。

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2018年3月にはロの字型のトルキスタン部隊の施設に移動。近くにローマ風の遺跡が真南に見えたという。運ばれてくる食事などから、近くにウイグル人のコミュニティがあるのではと推測した。

また、日本で2018年7月に報道された動画で「ウマル」と名乗ったことについて、日本名を名乗れなかったため、自分で考えてイスラム系の名前である「ウマル」と名乗ったという。その後、同じ施設にイタリア人が収容されたことに「ひよこ豆」の呼び名についての会話から気づいたという。

また、動画で「韓国人」と名乗ったことについても、日本人と名乗れないことを知って韓国人だと述べたとし、別の施設の時には「中国人」と名乗ったこともあったという。

9月には、また元の巨大収容施設に戻され、嫌がらせにより14時間もトイレに立てないこともあったという。そんな彼らに対して「お前らはジハードのために、こういう活動をしているんじゃないのか、こういうことはもうやめろ」と強く訴えるようになり、40ヶ月をめどに解放してくれと強く要求するようになったという。

10月22日、シリアに入ってからちょうど40ヶ月目となった日に荷物をまとめろと言われ、解放されることが伝えられたという。翌23日に車へ乗せられ、「今からトルコだ」言われて解放されたことを認識したという。その移動中はずっと目隠しをさせられていたため収容場所はわからなかったという。同日、トルコのアンタキヤの入管施設に入ったとしている。

安田さんはここで話を終えた。

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会見場で配布された、安田さん拘束の経緯

この後、12時54分過ぎに、各メディアに対する質疑応答が始まった。

代表質問として司会者から、ネットで湧き上がっている「自己責任論」についてどう思うかについて問われると、安田さんは「政府を含めて、ご迷惑をおかけしたので批判されることは当然だと思う。ただし、事実に基づかないものが多いと思うので、事実に基づいたものだけにしてほしい」とした。

また、「自分が言うのも変だが、紛争地に入るので自業自得だと思う。ただし、本人がどう準備したかと行政がどう動くかは別問題で、それができないのは民主主義国家として大変問題であると思う。今回、外務省がとった行動(身代金を払わない等)などに不満はなかった」と述べた。

さらに、日本で多くの間違った情報が錯綜していたことについて触れ、大変情報が伝わりにくかった事実を挙げた。

会場からの質問が続き、今後も取材を行うか?との質問には「白紙です」と述べるにとどめた。

世間から自身が注目を集めていることについても「迷惑をかけたので仕方ない」としながらも、今後はシリアの現状についてもっと日本でも知られるべきだと私見を述べた。

また、家族からは「何もするなと言われていた」と明かし、すでに高齢の両親を気遣う言葉を口にした。

また、日本記者クラブへのメッセージとして「あきらめたら試合終了」という、漫画『スラムダンク』からの引用と思われるひと言を発表し、意味は文面のままとした。

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なお、この会見の様子は、インターネットテレビ「AbemaTV」でも最後までネット中継された。

Abema NEWSチャンネル

3年前の2015年6月、安田さんはシリアの内戦を取材するため、トルコ南部から国境を越えてシリアに入ったあと行方がわからなくなっていた。

その後、現地の武装組織に拘束されていると判明し、2016年3月には、安田さんとみられる人物の動画がネット上で公開されたほか、その2か月後には「助けてください。これが最後のチャンスです」などと日本語で記された紙を持った画像がネット上に投稿されていた。

その後も、画像や動画がたびたび公開されるも有力な情報は得られなかったが、2018年10月23日になって解放の情報が日本政府に入り、トルコから無事に帰国していた。

Photo by:まぐまぐ編集部

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