日本のマスコミではあまり報じられない海外のメディアのニュースを、本当はどう報じられているのか解説する無料メルマガ『山久瀬洋二 えいごism』。今回は、大抜擢の後、電撃的な辞任を発表したチョ・グク氏の問題を、韓国の民主化の歴史のなかで日韓関係がどのように扱われてきたのかを紐解きながら解説し、今後の日韓関係がどう動いていくのか予測しています。
チョ・グク氏法相就任と日韓関係の今後との関係
As Japan and South Korea Feud Intensifies, U.S. Seems Unwilling, or Unable to Help
訳:日本と韓国との確執は加速。アメリカはそれを懸念、とはいえ手も出せず(New York Timesより)
【ニュース解説】
日本と韓国との関係が冷え込む中で、その経済的な遺失利益もかなりのものになろうとしています。実際日本と韓国とを結ぶ定期航空便も運休が続き、人々の行き来も大幅に減少していることは周知の事実です。
そんな韓国で、最近話題になっていたチョ・グク氏の法務大臣(韓国では法務部長官)指名にまつわる一件は、日韓関係の今後を考える意味でも極めて重要です。
日本ではなぜ身内のスキャンダルに揺れるチョ・グク氏が、ムン・ジェイン大統領によって法務大臣に指名され、かつその後電撃辞任に追い込まれたのか、そしてそのことと日韓関係の問題とがどのようにつながっているのか、冷静に報道しているマスコミも少ないように思えます。
この問題を理解するためには、まずムン・ジェイン大統領という人物をもう一度見つめてみる必要があります。
彼は、朝鮮戦争で分断された貧しい家族の元に生まれます。そして、若い頃は軍事政権下で民主化運動に携わり、投獄された経験もありました。韓国は、南北に分断された後、民主化運動を抑え込む形で、軍事クーデターを経て、1963年にパク・チョンヒ元大統領による軍事政権が発足したのです。
世界的にみるならば、当時は冷戦の最中でした。キューバ危機からベトナム戦争へと、冷戦が実際の戦争へと拡大しつつある時代でした。南北に分断された朝鮮半島での危機も、今以上に緊迫していたのです。そうした状況の中で、パク・チョンヒ政権は、外交的にはアメリカや日本との関係を軸に韓国経済の強靭化を推し進めようとします。
パク・チョンヒ元大統領は、維新の名の下に様々な経済改革を断行しますが、一方で言論も激しく弾圧します。秘密警察や検察官の権限が強化され、拷問などによる過酷な取り調べも横行しました。そんなパク・チョンヒ元大統領の政策に対して、各地で民主化運動が起こり、その最中の1979年に彼は側近に暗殺されてしまいました。
しかし、その後韓国が民主化するまでに8年の年月がかかります。この期間に政府は何度も民主化運動に対して厳しい弾圧を行い、実際に多くの血が流れたのです。その過程で、韓国国内では政府以上に強い権限を持っているとされた検察に対して、多くの人が不信感を抱くようになったのです。
実際に、1987年におきた民衆の抗議行動の発端は、民主化運動をしていた学生が検察官の取り調べによって死亡したことに端を発していました。その年にやっとのことで、韓国政府は言論の自由を認め、民主的な選挙を約束します。
その後、それ以前の政権の流れを汲む保守と、民主化運動を進める革新という二つの勢力が、韓国の政界では常にライバルとして対立します。ムン・ジェイン大統領は革新側を代表し大統領になったノ・ムヒョン氏によって引き上げられた人物だったのです。彼は民主化運動を進める弁護士として活動していたのです。
しかし、そんなノ・ムヒョン元大統領も、退陣後汚職疑惑によって検察の取り調べを受ける前に自殺してしまいます。こうした経緯から、ムン・ジェイン大統領は、検察制度の改革こそが、韓国の民主化の最終目標だという政治理念を抱いてきたのです。そして、検察権力へ対抗する切り札だったのがムン・ジェイン大統領の側近で、彼の後継者とされていたチョ・グク氏だったのです。
そして、チョ・グク氏が今日になって電撃辞任をした真相はまだこれから明らかになるにしても、その事件とノ・ムヒョン元大統領が追い込まれた一件とに共通する生々しい韓国での政治闘争での共通点があるように思えるのも事実でしょう。
革新側につく人々は、チョ・グク氏への汚職容疑での取り調べは、そうした民主化への道を閉ざそうとする検察権力の陰謀だと指摘します。
それに対してパク・チョンヒ元大統領の娘として大統領になりながら、権力を私的に乱用したことで弾劾されたパク・クネ前大統領を支持する人々は、容疑をかけられているチョ・グク氏を法務大臣に抜擢する行為自体、大統領の横暴だと批判します。さらにパク・クネ前大統領が裁判にかけられていることへも現政権の陰謀ではないかと疑念をもっているのです。今韓国ではチョ・グク氏への処遇を巡ってこのように国内の世論が二つに別れているのです。
では、このことと徴用工や慰安婦問題をもって日本を糾弾する行為とは、どのように関連しているのでしょうか。
それは、戦後になって日本との国交を正常化させたのが、パク・チョンヒ元大統領による軍事政権下でのことであったことと深く関係しています。
経済復興を優先する当時の政権が、過去に日本が韓国を植民地にし、戦前戦中に韓国の人々に加えた様々な人権侵害についての微妙な解釈を先送りにしたままで、日韓基本条約によって日本と国交を正常化させたことが、その後の韓国での民主化運動の中で問い直されたからに他なりません。民主化運動の動きへの言論弾圧の中で交わされた日本との取り決めそのものが、民意を反映していない政策の象徴となっていったわけです。
であればこそ、革新の流れを汲む民主党から大統領になったムン・ジェイン氏にとって、この問題は法的にも再検討すべき課題という立場を取り続けているのです。
では、パク・クネ前大統領などが率いてきた保守の流れをくむセヌリ党はどうかといえば、これはこれで、民主化によって改めて指摘されるようになった「日本とのねじれた関係」を日本の謝罪という形で収束させることが、民意を得る上では欠かせないまでになってしまったのです。
つまり、日韓問題にけじめをつけることが民主党にしても、セヌリ党にしても政権を維持する上で唯一共通して合意できる外交政策になってしまったのです。
韓国の中では、民主化をさらに進めてゆこうとする人が、チョ・グク氏を次期大統領へという動きもでてきています。
残念なことは、民主化というある意味で未来に向けて社会を変えてゆこうとする動きが、その過程の中で日韓関係の過去の問題と絡んで、もつれてしまったことです。
韓国は植民地時代、そして朝鮮戦争での惨劇を経て、軍事政権の時代に経済成長をはじめました。民主化運動はその経済成長に遅れをとる形で、人々が豊かになる過程でうねりが大きくなり、そこで日韓関係の課題が公に論議されるようになったのです。そして、その矛盾に対して、日本側の対応も感情的であったことは否めません。
アジアの文化は、もともと過去の土台の上に未来をみようとします。それは、過去は過去として切り離し、未来への利益のために妥協してゆこうとするアメリカなど欧米の発想とは大きく異なります。
この発想の違いが、韓国の国内事情、さらには日本の反発に拍車をかけていることを、どこかで双方が気づく必要があるのではないでしょうか。
image by: 대한민국 청와대 [KOGL Type 1], via Wikimedia Commons