二階幹事長に“血判状”を叩きつけた林芳正議員「仁義なき山口抗争」の舞台裏

 

その後、保守王国の山口3区、4区は無風区になった。河村氏、安倍氏は地元での競争から開放された。

林義郎氏は2017年に亡くなるまで、どのような心境でいただろうか。長男、芳正氏は2008年に防衛大臣になって以来、順調に政治家としてのキャリアを積み上げてきていた。地元・山口では首相候補としての呼び声が高い。参院議員が首相になれないという法はないが、永田町には衆院議員であることが必須条件という不文律がある。義郎氏はずっと比例区転出を悔やむ気が消えなかったのではないだろうか。

林家は安倍家と同じ、下関を根城とする。1717年(享保2年)創業の醤油製造業・大津屋を営むとともに、下関市に本社を置いて路線バスを運行するサンデン交通株式会社の経営に携わってきた。しかも、林義郎、芳正親子はいずれ劣らぬ秀才だ。下関には、表向き安倍晋三支持でも、実は“隠れ林派”である人が多いといわれるのもうなずける。

伊藤博文から安倍晋三まで8人の総理大臣を輩出した山口県。次は林芳正氏の番だという期待感は強く、現に、今回の衆院くら替えには、山口県議会自民党の後押しがあった。今年6月、自民党の全県議26人が署名した「血判状」を党本部に提出し、林氏を山口3区の公認候補とするよう要請したのだ。

むろんこれは、山口3区の現職、河村建夫氏の派閥領袖である二階幹事長を意識した動きだ。二階幹事長が河村氏を守るため何を言ったのか。あの安っぽい任侠映画じみたシーンは、テレビで何度も繰り返されているので大方の読者はご記憶であろう。

昨年10月4日、二階幹事長が二階派の国会議員20人を引き連れて、山口県宇部市に乗り込み、衆院選に向けた河村氏の総決起大会に出席した。林氏が衆院にくら替え出馬を模索中と報じられたため、大挙して駆けつけたのだ。

壇上のマイクに向かった二階幹事長は、おちょぼ口をとがらせて、まくしたてた。

「『売られた喧嘩』という言葉がある。われわれは河村先生に何かあれば、政治行動の全てをなげうって、その挑戦を受けて立つ」

決起集会参加者を鼓舞するためとはいえ、なんと大仰な言葉であろうか。河村氏を守るために全てをなげうつというのだ。そもそも、党の幹事長たるもの、党所属の国会議員である河村氏と林氏を分け隔てするべきではない。

林氏も齢60を数える。しかも、山口県の衆院小選挙区の区割りは、1票の格差是正のため2022年以降の選挙で4から3に減る見通しだ。2012年以来、総選挙のたびに山口県連幹部らが林氏の公認を党本部に働きかけたが、すべて蹴られてきた。今年の総選挙は林氏にとって最後のチャンスといわれる。

一方、78歳の河村氏はいずれ長男、建一氏を後継者にするため、林氏から地盤を死守するかまえである。

二階幹事長は6月29日の記者会見で、党の公認について「現職優先であることは間違いありません」と河村氏への配慮をにじませた。林氏がくら替え出馬するなら処分も辞さないのかと問われ、「当たり前のことじゃないですか」と語った。

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