親父のクラシック音楽のような旋律を感じる生きざま
あれは音楽大に入ってからのことだった。ある日、僕は親父からコースターを渡された。コースターの裏には、「洋輔君へ」と書かれた作曲家の中村八大さんのサインがあった。
──音楽とはまったく縁がないと思っていたお父さんが…。
──音楽の道に進みたいと告げた時、「バカ」「やめろ」とだけしか口にした寡黙なお父さんが……。
意外だった。多分、レストランかバーでピアノの演奏をしていた中村八大さんを見かけて、
「実はうちの息子もシャズビアノをやりたいといっている。あなたを尊敬しています」
とか話をして、演奏家を目指す僕の励みになればと、サインをもらったのだろう。
振り返ると、音大に入った頃から案外、親父は僕を応援してくれていたのかもしれない。
晩年、親父は持病の糖尿病を患いながらも、医者に言われた通りに決まった時間に散歩をする日課を欠かさず、食事も決められたものをキチッと摂って。親父の療養生活は「うちの病院の宝だ」と、かかりつけ医に言わせるほどだった。
ステージでの即興演奏を奏でられる音楽はジャズしかない。だが即興演奏に入る前には、ステージの上のミュージシャンが気を合わせて奏でる、一定の旋律が必要となることもある。
自分に課したことをただひたすら守り、やり続ける。変化を嫌うように、毎日きちんとなぞるような親父の人生、それは一つの旋律のようで、どこかクラシックの曲にも似た美しさがあると最近、僕は感じている。
人がやっていることをやったのでは意味がない。僕なりの新しい表現をしたいという意欲が、フリー・フォーム・ジャズと呼ばれる僕の今の演奏の形になっていった。
その時の気分次第で、ピアノの鍵盤を肘で叩く僕の演奏は、根暗な人ではちょっとできない。根っから楽観的で明るい僕の性根、それはオフクロと相通じる資質だ。僕が母親の資質を受け継いでいるとしたら、オフクロに感謝したい。ありがたい。
(ビッグコミックオリジナル2005年4月5日号掲載)
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