日本は世界の中で競争力を失う一方だと言われています。そうなってしまった原因はどこにあり、これからどのような社会を目指すことで改善されていくのでしょうか。渋沢栄一の子孫で、世界の金融の舞台で活躍する渋澤健さんは、日本の会社が人に投資をしてこなかったことが最大の原因だと指摘。有能な人材を抱え込むことを重視する日本企業の体質に異議を唱えています。
プロフィール:渋澤 健(しぶさわ・けん)
国際関係の財団法人から米国でMBAを得て金融業界へ転身。外資系金融機関で日本国債や為替オプションのディーリング、株式デリバティブのセールズ業務に携わり、米大手ヘッジファンドの日本代表を務める。2001年に独立。2007年にコモンズ(株)を設立し、2008年にコモンズ投信会長に着任。日本の資本主義の父・渋沢栄一5代目子孫。
企業の真の役割はどこでも通用する社員を育成すること
謹啓 ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
長年、日本の企業は欧米と比べて「人を大事にする」と云われてきました。しかし、この数十年間において、世界の中での日本企業の競争力の優位性は衰える一方です。言い換えると、日本企業が大事にしている社内の「人」の競争力について、課題があるということになります。そして、その原因が実は、日本企業が「人」に投資してこなかったことによるという衝撃的なデータがあります。
2010年~2014年のデータですが、厚生労働省「平成30年版労働経済の分析-働き方の多様化に応じた人材育成の在り方について」によると、日本企業の人的投資(OJTを除くOFF-JTの研修費用)は対GDP比でわずか0.10%。それに対し、米国(2.08%)、フランス(1.78%)、ドイツ(1.20%)、イタリア(1.09%)、英国(1.08%)であり、桁違いです。しかも日本の場合、同比率が1995年~1999年の0.41%からさらに低下しています。
【出典:平成30年版 労働経済の分析 ページ89】
昭和の成功体験となった一括採用・終身雇用・年功序列の企業慣習により、「背中を見て学べ」というOJT的な労働価値が社内で形成され、外部リソースを積極的に活用しなかったことが一因かもしれません。一方、欧米では人材の流動性が当たり前ですから、中途採用した社員の研修費なども重なっているのでしょう。
しかしながら、このデータから見えてくる実態は、日本は「人」に投資をしていなかったこと。その結果、平成を経て日本が世界で競争力を失ってしまったのは必然でした。会社内部の知見・ノウハウを刺激してレベルアップし新たな事業環境に応えるためには、外部から「触媒」の投入が不可欠です。
「人に投資しても、忠誠心がなくて辞めたらどうする」という懸念はあるでしょう。しかし、社員に一方的に忠誠心を要求することは責任の履き違いです。その会社に留まると自分は自己実現できない。自分の労働価値を高めることができない。つまり、魅力がない会社であるから社員は辞めるのです。
そういう意味で、社会における企業の真の役割とは、どこでも通用する社員を育成することではないでしょうか。これからの「良い会社」のKPIは離職率の低さではなく、逆に有能な人材を社会に輩出しているかどうか、という尺度が着眼されるかもしれません。
どこでも通じる労働価値を高めてくれる「良い会社」には、当然ながら自分の価値を常に高めることを求めている良い人材が数多く集まってきます。そのような人材が集まってくる会社は、時代の変化に機敏に反応することができて、事業モデルを常にアップデートできるはずです。
コロナ禍に加え、環境に配慮する経営が必須な時代になり、量産と破棄を繰り返して商売をしていた事業モデルの見直しが迫られている中小企業の女性経営者の言葉が印象に残りました。「守るべきは人であって、会社ではないです。」
ただ一般的に企業経営者から聞こえてくるのは、「雇用を守るために」今までの事業を継続するという声です。逆に賃金を上げると利益が圧迫されて経営が苦しくなり、リストラ等が余儀なくされ、守るべき社員が守れなくなるというロジックです。
しかし、この考え方は今の時代でも成立しているのでしょうか。終戦から高度成長期に、企業は日本社会の福祉機能を果たしていて、安定した雇用を提供することで日本人が豊かになったことに間違いありません。一括採用・年功序列・終身雇用という企業人事の慣習が適していた人口ピラミッド型社会の時代でした。
その時代が去り、およそ30年間の安かろう良かろうの時代が続き、日本人の人件費は「高い」と決して言えない世界になりました。そして一つの会社に勤めた30年間で形成された経験が、労働市場でさほど評価されない産業が日本社会では少なくありません。
長年、年功序列・終身雇用にどっぷり浸かっていたので、労働市場で社員が自分の労働価値を確認する常識も乏しく、これが、日本社会の賃金上昇に蓋をしていたと言えるかもしれません。