たこ焼だけに非ず。コロナ直撃も新業態で業績UP「築地銀だこ」の底力

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新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの事業者が苦境に立たされた飲食業界。しかしそんなコロナ禍をバネに、組織体力を高めることに成功した企業が注目を集めています。今回、「築地銀だこ」を運営する株式会社ホットランドを取り上げているのは、フードサービスジャーナリストで『月刊食堂』『飲食店経営』両誌の編集長を経て、現在フードフォーラム代表を務める千葉哲幸さん。千葉さんは同社社長が「何が起こっても大丈夫な会社を目指した」とする事業展開を詳細に紹介するとともに、その取り組みを高く評価しています。

プロフィール千葉哲幸ちばてつゆき
フードサービスジャーナリスト。『月刊食堂』(柴田書店)、『飲食店経営』(商業界、当時)両方の編集長を務めた後、2014年7月に独立。フードサービス業界記者歴三十数年。フードサービス業界の歴史に詳しい。「フードフォーラム」の屋号を掲げて、取材・執筆・書籍プロデュース、セミナー活動を行う。著書に『外食入門』(日本食糧新聞社発行、2017年)。

「築地銀だこ」運営会社がコロナ禍をバネに展開する新しい試みの数々

たこ焼の「築地銀だこ」はよく見かけるチェーン店である。国内に約500店舗存在し、それもショッピングモールをはじめとした人が集まる場所で展開していることから、見かける機会が多いのはなおさらである。

「築地銀だこ」チェーンは1997年群馬県笠懸町(現・みどり市)が発祥で、本店は現在東京・築地に構えている(筆者撮影)

「築地銀だこ」チェーンは1997年群馬県笠懸町(現・みどり市)が発祥で、本店は現在東京・築地に構えている(筆者撮影)

しかし、この度のコロナ禍は、この「人が集まる場所」を窮地に追いやった。営業時間短縮はおろか、施設そのものが休業するところもあった。

こうしてコロナ禍は「築地銀だこ」を直撃した。「築地銀だこ」のリアル店舗の多くは休業を強いられたが、同チェーンを展開するホットランド(本社/東京都中央区、代表/佐瀬守男)では、これらの困難をバネにして、新しい売上をつくり上げ同社グループの事業再編を行った。この度、同社代表の佐瀬氏にインタビューする機会があり、また筆者が見聞したことをここで紹介しよう。

冷凍たこ焼の製造・販売で売上オン

まず、コロナ禍にありながらつくった新しい売上とは、冷凍たこ焼の製造・販売である。

そもそもホットランドでは冷凍たこ焼を製造・販売を行っていたが、コロナ禍で冷凍たこ焼の需要が拡大することを予測し、休業していたリアル店舗の従業員を群馬県桐生市の自社工場に集結させ、冷凍たこ焼の製造を集中して行った。桐生市内のホテルを貸し切り、工場はフル稼働で延べ人数70~80人がこの作業を行った。

冷凍たこ焼の販売は、大手コンビニチェーンに直談判したことによってそれが叶えられた。これによって製造数増、売上増となった。桐生の工場だけでは間に合わなくなり、ベトナムに工場をつくり、冷凍たこ焼は日本のみならず海外への輸出も手掛けるようになった。筆者もそのコンビニでこの商品を購入した。価格はこのコンビニのPB商品の2倍、6個で500円である。しかし、「築地銀だこ」のブランドが光っていた。

次に、新立地の開拓に挑んだ。

多くの商業施設内「築地銀だこ」店舗が休業になってしまったことから、2020年の5月ごろからロードサイド型店舗を郊外でやろうと動き出した。そして同年10月に東京・立川の五日市街道沿いに、このタイプの1号店を出店した。

同社では、東日本大震災の後に石巻でトレーラーハウスを使用してたこ焼の提供を行った。当時のトレーラーハウスを20台近く桐生にある工場で保有していたことから、出店までの時間を短縮させるという趣旨で、それを活用して店をオープンした。するとテイクアウト需要があることが分かり、たこ焼以外の商品開発を行なった。そこで、たこめし、焼そば、たい焼を販売したところ好調となり、月商1,000万円を超える月もあった。

そこで出店はロードサイドにシフトして、コロナ禍の2年間でこのタイプの店を10店舗出店した。

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