“キワモノ”れいわを応援。元朝日新聞エリート記者の人となり

 

鮫島氏は2021年5月、希望退職募集に応じ、朝日新聞を退職した。そして、今年6月、新著「朝日新聞政治部」を出版したばかりだ。

朝日新聞といえば、かつて“小沢一郎政権”の誕生を阻止すべく不正献金事件をでっち上げた検察の片棒を担ぎ、小沢バッシングの急先鋒となっていたことを思い出す。

小沢氏は国民への公約を破って消費増税に踏み切った民主党の菅、野田政権に反旗を翻して離党した。もし、検察の恣意的な捜査がなかったら、小沢首相が誕生し、財務省の言いなりになって消費増税に走るようなことはなかっただろう

それに関し、鮫島氏は本のなかで、以下のような事実を明かしている。

検察権力が自民党政権の意向を忖度し、あるいは政官業癒着の打破を掲げる民主党政権の誕生を阻止するため、強制捜査に踏み切ったという疑念が浮かぶのは当然だった。私も民主主義の危機だと思った。検察権力が総選挙目前に次期総理が有力視される野党党首を狙い撃ちしてよいのか。検察を担当する社会部司法クラブは検察と一体化し、捜査ストーリーを垂れ流す報道を続けている。彼らに任してはおけない。私は朝日新聞がこの捜査に警鐘を鳴らす論文を1面に掲げるべきだと強く思った。

鮫島氏は編集局長室に乗り込み、局長補佐に「今日は編集局長が1面に論文を書く日です」と迫ったが、その思いはかなわなかった。

あの当時の朝日新聞社内で、記者のこんな動きがあったのだ。筆者は大メディアの報道姿勢に対し、ブログ、メルマガなどで強く批判を続け、『小沢一郎の死闘1500日』というKindle本を出したが、あの執拗な小沢バッシングの裏で、朝日の内部から批判の声が上がっていたとは、想像もつかなかった。

社の方針や編集の都合によって筆を曲げがちな記者の中にあって、鮫島氏が自らの正義感を貫こうとした稀有な存在だったことが、わかっていただけると思う。

特別報道部のデスクだった2014年、鮫島氏は「吉田調書」の報道でバッシングを浴び、デスクを解任された。

「吉田調書」は福島第一原発事故について政府事故調が同原発の吉田昌郎所長にヒアリングした内容を記録したものだ。それを記者が入手し、鮫島氏が担当デスクとして記事を出稿した。当時の木村伊量社長は「社長賞だ、新聞協会賞だ」と激賞していた。

ところが、この記事や同社の「慰安婦」報道に対し、当時の安倍首相は「誤報だ」と言い募って他メディアの執拗な批判報道を扇動し、自らの支持層を固めていった。

その圧力に屈した木村社長は「吉田調書」報道を取り消し、鮫島氏を停職処分にしたうえ、記者職を解いた。

鮫島氏はこの本のなかで、次のようにその影響を綴っている。

「吉田調書報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった」

失意のなかから鮫島氏は立ち上がり、ウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊、YouTubeにも動画番組を設けて、言論活動をはじめた。

創刊の動機となったのは、自身も含めた朝日新聞の「傲慢罪」に対する反省と、「誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れた」という認識だ。

デジタル化で人々の価値観が多様化しているのに、政治家や官僚はもとより、経済界、マスコミも、それに対応できていない。

もはや、AかBかと上から考えを押しつける二大政党制の時代ではない。立憲民主党はきれいごとを言いながら、永田町や組織の論理に縛られ、結局は、自民党の政策とさして変わらない。多様な意見を吸い上げ政治に反映させるには多党制のほうがふさわしいのではないか。

そう考えていた鮫島氏にとって、2019年の参院選でれいわ旋風を巻き起こした山本太郎氏の登場は、衝撃的だった。

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