「城攻め」では上位の策。中国共産党の狙いは台湾の“中からの崩壊”

 

城攻めをして、失敗すると、被害が大きいばかりではなく、自分の味方、それが上杉謙信や武田信玄であっても、其の臣下の武将が恐怖心を持ってしまい、攻略が前に進まなくなってしまうということになるのです。

しかし、そのような武田信玄が攻撃しても落ちなかった砥石城ですが、これが驚くほどあっけなく落ちてしまいます。これは真田幸隆(真田昌幸の父・真田幸村の祖父)が、砥石城の中を調略し、中の人々を裏切らせて簡単に城を落としてしまいます。

難攻不落といわれた小田原城も、豊臣秀吉が攻めたとき、松田憲秀という武将が裏切り、小田原城は落城します。このように「難攻不落の城」も「内側に裏切り者が出てきて、内側から攻めると、いとも簡単にあっけなく落城する」ということなのです。

どのような城でも同じですが、その城の中が、しっかりと一致団結し、諦めることなく、抵抗を続けていると、意外と大軍が相手でも落とすことは難しいのです。

このように書くと、「それは歴史上の話だ」というような反論をする人がいます。しかし、そのような指摘は当たっているでしょうか。実はウクライナであっても同様の話ではないでしょうか。ロシアのような大国が攻め、また、これはウクライナ側の主張ですがクラスター爆弾や巡航ミサイル(核弾頭は使っていないようですが)を使用して攻撃しています。

いうなれば、上杉謙信が城を攻めているようなものです。しかし、それでもウクライナは2月24日から4カ月以上たっても負けていません。これは、当然「ウクライナ国民の結束が固いから」にほかなりません。

一説には、としか言いようがありませんがロシアは2月24日よりも前、ゼレンスキー大統領の支持率がかなり低下していることを鑑み、攻めればウクライナ国民がロシアになびくものと考えていたと言います。つまり、ロシアはウクライナ国民が革命を起こし、その革命に乗るような形でウクライナの政権を倒すつもりであったようだという観測があります。

そのように考えると、ロシアであっても、ウクライナを完全に外から崩すことはできず、ウクライナの内側から崩さなければならないと思っていたようなのです。

そのことを考えると、上記の「砥石崩れ」の後の真田幸隆の調略も、また、小田原城を攻めた豊臣秀吉が松田憲秀を裏切らせたのも、すべて攻城戦をうまくやるようにするためであったということが言えます。

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