あの寺山修司が死の間際に作り上げた「逆転」の文学世界とは何か?

 

気持ちのありようが及ぼす精神性

会社勤めを始めたときに、先輩から言われたことがあります。

「忙しい、忙しいと言っているヤツほど暇だ」

「大変だ、大変だと言っているヤツほどラクをしている」

かなりスパルタな教訓ではありました。しかし、いやいややっている仕事は苦痛だったし、忙しさだけが全身にまとわりついてくるようだったことは僕自身も経験したことです。

どんなに大変な仕事でも、仕事が楽しいときは気持ちも高揚していて、疲れも感じませんでした。多少の睡眠不足も気になりませんでした。仕事の仕方として良い悪いは別にしても、気持ちのありようが精神的な影響を受けることは間違いないと思います。

先輩の教訓と自らの体験を踏まえて、ことばというのは、自らを表現する手段であると同時に、自らに制限をかける作用もあるのではないか、と思ったのです。

普段、20回の腕立て伏せを3セットしています。一人だと2セット目の18回くらいからだんだん体を支えることが厳しくなります。ところが、そこにトレーナーがいて「いけるよ、もっといける」と声をかけられると、なぜか3セット目もさほどきつくなくなるのです。かけ声がリミッターを外してくれるのです。

逆転の発想から生まれる文学世界

文学にも、その作用があります。

「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」

「おかしいから笑うのではない、笑うからおかしいのだ」

というように、いったん原因と結果を逆転させてみるのです。それによって、新しい世界観が見えてきます。これを電子的応用しているのが、バーチャル世界とも言えます。いまある世界と異なる世界を、自らのアバターに経験させ、それを実体験のように味わうことができるのです。

通常、逆転できない=体験できない世界を実態のあるもののように見せてくれます。ことばによる世界観の転換を、視覚として表現されたものがバーチャル世界だからです。

仮想現実で実現される想像の世界

「私は豊かな肉体をもったダンサーです。結婚しましょう。そうするとあなたの頭脳と私の肉体で素晴らしい子が生まれます」

「よしましょう。もし、あなたの頭脳と私の肉体を持った子が生まれたら困るからね」

20世紀初頭のノーベル文学賞作家バーナード・ショーと、当時トップダンサーだったイサドラ・ダンカンのやり取りだと言われています。

この話の真偽はともかく、結婚をしようというダンカンの理由(原因)と二人の間に生まれる子ども(結果)を、ショーが逆転させています。この手法は、一種のバーチャルな世界を想像させています。いまであれば、この原因と結果をバーチャルで再現できるかもしれません。

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