終戦時と同じ。コロナ禍と地方衰退に襲われる「統治の空白」ニッポン

 

問題は、「権力の空白」という問題です。この8月15日に日本軍は無条件降伏していますが、9月3日まではまだ法的には戦争は終結していませんでした。そして、9月3日を過ぎると、基本的に大日本帝国というのは消滅して、米国の占領地として4つの島と付随する島嶼があるという状態になったのだと思います。

この「終戦」前後という時期には、さまざまな形で「権力の空白」という問題が発生しました。大きく分けて3つ指摘ができると思います。

1つは、聖断という問題です。昭和天皇は、侍従の寺崎英成が書き残したメモによれば、開戦時には内閣が閣議決定を上げてきたので、「君臨すれども統治せず」の原則で裁可した、だが、226事件の際には岡田総理の生死は不明、また終戦の際には閣議では決定できないということだったので、いずれも自分が判断したという理解を残しています。

とりあえず、戦犯訴追を逃れた経緯とも、そして一般に知られる昭和天皇の人となりというイメージとも大きな齟齬はないので、これがほぼ歴史の定説となっているわけです。ですが、226の時点はともかく、終戦の「聖断」というのは法的根拠が曖昧なように思います。つまり、大日本帝国憲法における「統治を総覧す」という「天皇大権」を行使したのか、それともそれ以上の超法規的な何かだったのか、もっと遡って天皇制度の枠組みである律令との整合性はどうかといった点でも法理論の確認が必要であると思います。

つまり、鈴木貫太郎内閣は閣議決定ができなかった訳で、そこで内閣制度としては権力の空白が生じたのです。その空白を埋めたのは何だったのかという問題です。過去のことですから、歴史評価に過ぎないという見方もできます。ですが、仮に大日本帝国憲法も、律令も超えたところで緊急避難的に天皇大権が発動されたということは、一体「何」なのか?例えば英国王の不文律(=憲法)による大権を模したものなのか、それとも天武持統や後醍醐の統治先例に倣った「何か」が発動されたのか、そうした点は考えておくことは必要のように思います。

例えばですが、今後、東京が大規模な奇襲を受けて政府の三権が壊滅した場合に、仮に天皇が生存していたら緊急避難的な統治が可能なのか、それともそれは禁止して、何か別の「空白の埋め方」を考えるべきなのか、というのは考えておく必要があるように思うのです。

ちなみにこの天皇大権に関しては、例えば現代の閣僚も「大臣に任命されたら宮家まわりをして記帳する」とか、内閣総理大臣は海外出張の前後に「皇居で記帳する」という意味不明の習慣があります。それ以前の話として、国務大臣の認証には天皇が必要とか、国会の開会にも天皇が必要というのは、国民主権という考え方からすると、やはり根拠は希薄なように思います。

現代においては、天皇が政治利用される危険性は薄いと思いますが、天皇の権威で任命されたり開会されないとヤル気が出ないとか、偉くなった(=責任を痛感するという前向きな意味も含めて)気分がしないというのは、人間としてかなり劣等な思考回路だと思うのですが、どうでしょうか?

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